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当たり前の日常と、そうでない日常と

ぎん)最近携帯からの書き込みがメインになっていたので、久しぶりのパソコンからの書き込みだ。

最近のブログで、色あせた日常という言葉言った。

ふと・・考える。

当たり前のような日常の繰り返し。

けど、それがもし・・当たり前でなくなったら??

極端な話になるが、もし、今日で自分の命が尽きて、明日という日を生きる事ができなかったなら??

そんな事を、温泉に浸かりながら・・一人ボーっと考えていた。

妹背牛のぺぺるを出て、国道12号線を旭川へと向かう。
通り慣れた、面白みのない道路。
信号も無いのにペースが上がらず、いらいらこそすれど・・この道路で何かを感じる事はなかった。

ちょっと思考を変えて、自分の命が今日で終わると考えてみる。
いや・・ぺぺるへ来るのが、今日で最後と考えてみた。

すると、今まで気にしなかった風景が目に飛び込んでくる。

当たり前すぎて、見えているはずなのに見えていなかったんだな。

そう考えて運転をしていると、不思議と周りにどんな木が生えていて、どんな景色だったかまで覚えていた。

人間、よく遠くへ旅行に行く事があると、この景色を目に焼き付けようと必死になる。
それが、たった2~3日の滞在だとしても、地元の景色よりも鮮明に覚えているものだ。

ぎんも、入院中は・・よく鳴門の町の中を散歩してあるいた。

しかし、一番記憶に残っているのいるのは・・旭川に帰る日にちを決めて、この景色を目に焼き付けよう!そう思ってからだ。

色あせた日常。

これは景色だけに限らない。

例えば、結婚している人ならば、その家族。
カップルならば、彼氏、彼女。
親ならば、子ども。
ペットを飼っているなら、そのペット。

全てが、全く当たり前の、ごく当然の日常だ。

毎日一緒にいると、それが当たり前になってしまい、その人と一緒にいることが「至極当然」そんな気にすらなってしまう。

明日も、当たり前のようにやってくる。
誰しも、そう思うことだろう。

しかし、もしも一日の最後に布団に入り、そして眠りにつき、
そして、明日という日が自分に訪れなかったらどうする??

言いたい事、やっておきたかった事、山のようにあるのではないのか?

肉体を失い、人間としての意識が残るなら、きっとこう思うだろう。

どうして、命のあるうちにやっておかなかったのだろう??

ぎんは昔、自殺未遂をした事がある。
睡眠薬を多量に服用して・・・自殺をはかった。
この時は、酔っていた方が薬が効くと知っていたので・・めいいっぱい酒を飲んで薬を服用した。
しかし、幸いにも・・泥酔していたおかげで、薬を間違えて飲み・・死ぬ事はなかった。
今でこそ笑い話だが、あの時はの「眠る事」への恐怖は忘れる事はできない。

自分は今日で命を終える。
明日という日は自分にはない。

これが、どれだけ恐ろしい事か・・・

でも、人間生まれた以上は、いつかは必ず死ぬ。

それは、若かろうが、老いていようが関係ない。

実際ぎんの知り合いも・・十代のうちに三人亡くなっている。

当たり前という現実が、誰にでも平等には訪れない事を解って欲しい。
あと、少しだけ考え方を変えて「今日」という日を大切にして欲しい。

何か特別な事は、する必要は無いけど。
ほんのちょっと、ちょっとだけ・・勇気をだしてみる。

普段、なかなか言えなかった事、出来なかった事をやってみる。

そうすることで、今日という日が、当たり前の中から「特別な日」に変わることだろう。

あと、人間最後の日に、苦しい切ないと、辛い顔をしていたいだろうか?

自分ならば、一日元気に明るく過ごして、最高の一日だった!と思う一日にしたい。

これを毎日、命ある限り、積み上げていく事ができたら・・さぞかし幸せな事だろう。
自分だけではなくて、周りの人も、その笑顔に癒され元気になって行く事だろう。

私の知り合いの方で、60歳で末期のガンの方がいる。

本人は、とても苦しく、辛い事だろう。
しかし、とても前向きで、自分に出来る事をやろうと、日々前向きに生き続けている。

この方を見ていると、自分には何も無いなどと・・自殺を考えていた自分が恥ずかしくなる。

この方だって、最初から強かったわけではない。

そう、人間なんて、弱い生き物。

最初から強い人など何処にもいない。

その人の歩んできた道のりが、その人を作り上げているに過ぎない。

ぎんは、周りの人から「凄い」と言われることがある。
けど、本人は何も凄いとは思っていない。

ただ、「自分に出来る事を自分の出来る範囲」でやっているだけ。

誰しも、これをやりたい!これができたらいいな~!という想いがあるはず。

それを、「想う」で終わらせずに、「行動」してみる。
そして、無理をしない。
たったこれだけの事で、何かが変わる。

やりたいことがあるのに、やらずに死んでしまうのでは・・死んで後悔するだけではないのか?

やるなら「今日」から、そう、今「この時」から、

過去はいくら悔やんでも、後悔しても変えられない。

代えることが出来る、何かを出来るのは「今この時」だけ、

「明日から」では、明日がこなかったら・・後悔で終わってしまう。

しかし、「今日」という日を大切に出来たなら、きっと今日という日は「有意義」な日となり、
後悔する事も少ないだろう。

長くなってしまったが、

正直、こんな分を見たなら・・何を偉そうに??お前何様?と思う人もいるだろう?
おそらく、以前のぎんならば、そう思ったに違いない。

これは、人にどうこうしろ!というものではなく。

自分自身への、「戒め」として書いているもの。

ぎんは「凡人」であるがゆえに、たくさんの出逢いや経験をさせてもらっているにもかかわらず、まだまだ、心が揺れ、迷いがでる。

そんな自分の葛藤を、「想った」だけで終わらさないためにも、
自分を客観的に見て、自分に「喝」を入れるためにも、
こうしてブログという方法で、文章として残させてもらっています。

 

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