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2009年を振り返って

ぎん)2009年も残すところ一日となりました。

時間の過ぎるのは本当に早いもの。

終わってみて・・・毎年想うことは「今年も一年早かったな~」と毎年のように会話にでてくる。

ぎんとしてみては、2009年という年は、自分にとって激動の一年と感じた。

辛いと想えば辛い事は山ほどあったけど、全ては自分の身になっていること。

どれも新しいチャンスのため!と前向きに考えるならば・・・最高の年とも言える一年になったきがする。

そうだよな~

よくよく考えてみれば、何かの終わりは、何かの始まりでしかない。

体を壊して仕事がダメになった事だって・・・それを機会に、新しい事を始めるきっかけにもなった。

四国のお遍路の度に始まり・・・自営の準備。

体を壊したし・・・自分は何をやってもダメだと・・・腐っていたなら、何も変わることはなかった。

いろいろ考えて悩みぬいて、特に感じた事は、

今までの自分は「常識に」とらわれていたな~と想う。

常識って・・・よくよく考えてみると、誰がきめたの?

アメリカでは家の中で土足OKでも、日本ではダメ!とか、それは・・・どう考えてもいかんだろう?と思えること意外は・・・個人の先入観のようなものが多い気がする。

例えを一つ上げるならば・・・

ぎんが四国で重度のギックリ腰ににり、病院の先生から「無理!」だから北海道に帰りなさい!といわれたら・・・常識や普通といった観念で考えると、どうするだろうか?

大方の人は先生の意見に従って、北海道にしぶしぶ帰るのではないかな?

だけど、もし・・・ぎんがそうしていたならば・・・

四国では何も得ることは出来ないどころか、逆に自信を失い、自分に何の希望も見出すことが出来なくなっていたかもしれないな。

そう考えると、今の自分がこういったチャンスにめぐり合ったことに心から感謝したい。

さて、ぎんの2010年の目標は・・・もちろんのこと!自営の立ち上げ。

あとは・・・ぎんは

三つの道を精進したい。

①褒め道  ②喜び道  ③菩薩道(ゆるし受け入れる心)

何事にも「楽しむ」という気持ちを基本において、この三つの道を精進してきたいと想う。

2009年は、最高に苦労の年でもあったけれども・・・最高に自分を高められる年となった事実。

来年2010年は、さらに最高だった!という一年にしたいと想う。

くろ)今年は、いつもの年のように大好きな温泉にたくさん行ってませんが~~

道東の温泉へは、いっぱい連れてってもらいました♪

温泉で、、、のぼせて倒れてしまうという・・

くろにとって珍しい出来事もあった年でした(゚ー゚;


くろにとって、今年は、コブクロの年でした(笑)

『初めてのライブを大阪で!!』と、心に願っていたことが叶った時の喜びは。。

今もしっかり残っています

アンコールで歌ってくれた『ここにしか咲かない花』のときの

「ここにしか咲かない花、、、ここにしか吹かない風。。。

ここでしか見えないもの、、、ここでしか聴けない歌。。。」と、

涙を目に浮かべながら・・・会場を見渡して歌ってくれたときの表情や歌声は、

心に、ぎゅーーーーーっと・・しみ込んできた感動を胸に、、、

来年もライブへ行く~~~~

コブクロを目の前に聴けたという喜びや感動を・・

ついつい身近の人に聴いてもらったり。。(笑)

友達が一緒に旅行に行ってくれたことで、新たな発見も出来た年でした!

また、仕事では、、

患者さんや家族の方と、親しみある関係を築かせていただきました。

患者さん、家族の方に「居てくれると安心する」という言葉をかけていただくなど。。

仕事に意欲がわくような嬉しいこともありました!

来年も、初心を忘れず。。。自分らしく看護をしていこうと想います

今年一年、くろとぎんのお気楽漫遊日記にお付き合いいただいた皆様に心より感謝。

そして・・・皆様にとって、2010年が、さらに素晴らしい年になりますように!

「恨み」について想う

ぎん)受けた恩は石に刻め、かけた情は水に流せという言葉がある。

とても素晴らしい言葉だと想う。

言うは易し、行うは難しだよな~。

さて、ちょっと言葉をもじって・・・受けた恩は石に刻め、「受けた恨みは水に流せ」としてみてはどうだろう?

受けたうらみって・・・人によっては想像もつかないような、酷い仕打ちをうけた人もいるだろう。

ぎんも、正直・・・30年少々生きてきたけど、いろいろな体験をした。

本当に相手に殺意を抱くほどの裏切りにあったこともある。

だからといって、恨みを正当化するつもりもないし、否定するつもりもない。

恨みを買うほどのことをした人間が、簡単に許されるとは想わない。

けど・・・それ以上に、恨みをいつまでも引きずり、前に進むことができずに・・・

本当なら明るい人生を歩む権利のある人が、自分の人生を棒に振ってしまうのはもったいない。

こんなことを言って・・・簡単に言うんじゃねえよ!って怒られるかもしれない。

でもね・・・それならば、一つ聞いてみたい。

あなたは、いったい・・・その「恨み」をどこまでもっていくの??

あの世まで?

あの世に行っても・・・相手を恨み続ける??

とうの本人は、全く気にしていないかもよ?

それって・・・何だか虚しくないかな?

相手を恨むってことは、そのつど相手を思い出すんじゃない?

恨めば恨むほど、どんどん負の心は大きくなって・・・ブラックホールのように、自分の中の全てを飲み込んでいく。

それって・・・とても苦しくない?

どうして、自分はどそれほどまでに・・・そのことに執着して、両手でぎゅって握り締めているの?

握り締めている手のひらを「ぱっと」離してみたら・・・新しいものが掴めるのにね。

それに、そんなに恨むほどの相手ならば・・・きっともう顔を合わせることもないだろうし(あわせる人はごめんね)

それならいっそのこと・・・相手の記憶を、楽しかったことだけ思い出して美化しちゃえばいい。

どんなに悪い人だって、1から10まで全て悪い訳ではないでしょ?

それに、そんなに悪い人だったなら、恨むほどの感情を抱くほどまで、人として付き合いはしないはず・・・。

誰もが全て簡単に割り切れて、簡単に気持ちの切り替えをできるわけではないだろう。

それでも、どこかでそんな自分を変化させないかぎり・・・辛いだけの未来は何も変わらない。

ぎんは・・・やっぱり人間だからね、こんなことを偉そうに書いてたって、思い出して腹立つことはある。

それでも、10回に1回を10回に2回と・・・少しずつ良いほうへ自分の心を導くことで、自分自身が楽になっていくのは実感できる。

せっかく一度きりの人生なんだから、終わったことにいつまでもクヨクヨしてる暇は無いよ!

それならば、一分一秒を大切に、自分が後悔の無いように、少しでも楽しめる人生を送ることが大切だと想う。

言葉の力

ぎん)「言葉」には「言霊」という力が宿るというの話を聞いたことがある。

自分が考えて、自分の口を通じて発せられた瞬間から・・・良くも悪くも力を持つというものだ。

ぎんにとっては、2009年という年が・・・その事実を体験し、強く感じる一年になった。

まず、自分の中での大きな転換期となったのは、

四国八十八ヶ所巡り、お遍路の旅。

そして・・・もう一つが、

自分の会社を持つこと(今は個人で自営)

どちらも、自分にとっては「夢のまた夢」といった・・・なればいいな~とは想いつつ、どこか人事のような、おぼろげな感覚でいた。

一番身近にいた「くろ」にしてみれば・・・あ~もう、何度も聞いたよ・・・うるさいな~
お前はボケた老人か?とも想いたくなるくらい・・・

今年に入ってから、どちらの話も毎度毎度していた。

何度話しても、嫌な顔もせず・・・辛抱強く聞いてくれた「くろ」の存在があったからこそ

こうして「言葉の力で」良い結果を引き寄せられたのかもしれないな。

くろに、心より感謝。

人の話を根気強く「しっかり聞く」というのは、簡単そうで誰にでも出来ることではない。

それに・・・

人間という生き物は、どちらかというと・・・

人の話を聴くよりも、自分が聞いて欲しい生き物だし、

良い話をするよりも・・・人の悪口をいうほうが好きな傾向があるしね。

単に「言霊」には力があるといっても、それを受け入れてくれて・・・良いほうへ導いてくれる

「器」が

身近になければ・・・良い力を発揮してはくれないだろう。

そういう意味では、ぎんにとって「くろ」という存在が「器」だったのかもしれない。

話は戻るけど・・・

お遍路に向かうと決意したとき。

四国で入院して、医者からストップをかけられても・・・四国を廻る!と断言し続けたとき。

自分の会社をもつ!と言い続けたとき。

どれをとってみても・・・本当に何度も何度も同じ事を言い続けた。

最近ふいに想うことがある。

愚痴や悪口。

以前はこの二つの事で誰かと話していると、夢中になって自分が今、どんなことを話しているのかさえ忘れてしまうことがあった。

ところが・・・

言葉の力を意識するようになってから、不思議と・・・

愚痴や悪口を言っていても、夢中になるどころか、心に「もやもや」したすっきりしないものが溜まっていくのを実感する。

ちょっとカッコよい言葉で言えば、

自分の心が汚れていくのがわかる・・・といった感覚だな。

言葉には、力がある。

これは、以前ぎんの「霊的」師匠からいただいた言葉。

何かを願うときは、○○が出来ますように。と願うのではなく。

○○が出来ました!と、自分の言霊の力で引き寄せなさい。

そして、その言葉を必ず「十回」いいなさいと、口に十と書いて「叶う」という。

しゃれではないけど、それほど人の言葉には「力」があるということだろう。

それからぎんは・・・何かを願うときは、「十回」○○が叶いました。とお祈りすることにしている。

今は・・・

毎日お風呂に浸かりら、

今日も一日無事過ごす事が出来ました。感謝

私に縁のある人全てに、幸せが訪れました。

阿弥陀真言「おん あみりた ていぜいからうん」

を十回ずつ唱えている

これは、四国を廻っていたときから続けていることだ。

言霊の力。

例え、言葉に力があったからとして・・・それを続ける努力の出来る人がどれほどいるだろうか?

一回や二回やったところで、何かが変わることはない。

何かを変えると自分で決断して、辛抱強く続ける努力を出来るものにだけ・・・後から「結果」という、ご褒美がついてくるのかもしれない。

もしそれが・・・悪い意味での継続を続けたのならば、それは「悪い意味」でのご褒美がついてくるのかもしれない。

悪いときは「ご褒美」とは言わないか。笑

ぎんも以前は、せっかちな気性で・・・自分が何かをやり始めると、すぐに結果を求めたがった。

短期間で結果の出ないものは、やる意味すらない!とまで言い張っていた。

でもね、短期間で・・・人からは認められないかもしれない。

それでも続けて努力することによって、きっと何かは変わっているはず。

それは、たとえ目に見える形にならなかったとしても・・・

きっとこれから先自分が生きていくなかで、自分の「自信」という、自分だけの宝物になると想う。

今になって想う。

良くも悪くも、人は自らの発した言葉の力で、自らの運命を引き寄せるのだろうな・・・。

コブクロライブin札幌②

くろ)お久しぶりです!

コブクロライブin札幌①から…だいぶ時間が過ぎてしまいましたm(_ _)m


ライブが始まり、ステージにコブクロの2人の姿を目にした瞬間!
『コブちゃんが真っ正面゜+。:.゜ヽ(*´∀`)ノ゜.:。+゜』感動です!!


近くでコブクロの歌を聴くと、2人の息の合わせ方をモニターを通して観るのとは違い…見入ってしまいました(*^o^*)


コブちゃんのギターを弾く姿を近くで観れると夢にも思っていなかったんですが、ステージと花道で演奏してるのを観るには、ちょうど良い席でした~!カッコ良かったぁ~( ̄∀ ̄)☆


くろちゃんの歌声は…鳥肌が立つくらい、感動しました!


アンコールは…コブクロの歌のひとフレーズを歌って呼びかけます♪

初めてのライブでは…要領が、いまいち解らなくて…座って手拍子してました(>_<)

札幌では…立って、手拍子して、大きな声で歌って呼びかけました(≧∇≦)


札幌ライブでは、大阪城ホールで体験したライブの楽しみ方を全て出し切ったって感じです(^▽^)ノ


喉を枯らしながらも、全力で歌ってくれている2人に応えたくなりました(^_^)v


あぁー(..;)
来年まで…長いー!!

来年も行きま~す(^-^)/

客観的視点と自分を変える種。

ぎん)客観的に自分を見る。

よく・・・自分を変える成功術のような本に書いてある言葉だね。

簡単に言うと、自分以外に、もう一人別の視点から自分を見て・・・自分が何をしているのかを知ること??

うまく説明できないんだけど、要は、二人の自分を作ってもう一人の自分を見る?

余計に訳がわからなくなってきたわ!!って・・自分にキレてどうするの?笑

あ!お笑いなら・・・一人で漫才やってるときに、自分が一人ボケをしているときに、自分で突っ込み入れているかんじかな?

ん~これなら、ちょっと解りやすいかも。笑

頭の良い人なら、すんなり理解できて・・・

実践も簡単に出来るのだろうけど、残念ながら「ぎん」は、そんな素晴らしい頭を持ち合わせていない。

せいぜい・・・鏡で自分の顔を見るのが関の山だね。

話が相当ずれました。そろそろ戻します。

ここで・・・ふと、ぎんは想う。

客観的に見る??

誰が??

自分が??

ん~~~~~~~~。

どんなに見る人数が増えてたところで、自分は自分なんじゃないの??笑

その人が生きて積み上げてきた人生観なんて、そうそう変わるものじゃないのでは?

本に書かれている言葉の「客観的に見る」は、素晴らしい言葉のようだけど、やはりぎんにはいまいち納得がいかない。

それよりも、最近気付いたことがある。

ぎんは最近、ダイエットと運度不足と節約を兼ねて、片道3キロ圏は自動車を使わずに、徒歩で移動している。

これは、もう二ヶ月くらいになるかな。

そこで気がついたこと・・・

自動車で移動していると、ただの「流れる景色」の一部でしかない風景が、

ひとつひとつ、お店だったり、家だったり、個性のある形をがあることに気付く。

当たり前のことなんだけど・・・自分の体感する速度が速くなると、ついついそれを見落としがちになる。

ふと、自分に置き換えてみる。

自分の生き方も・・・どこか自動車にのっているような、急いだ生き方になっていないだろうか?

どこか目標があって、そこに早くたどり着こうと想うときは、早ければ早いだけよいと想う。

ただ・・・目的地や早さにばかりに気を取られていると・・・大事な何かを見落としていることがあるかもしれないな。

若い人ならまだしも、人生30年以上生きてくると、それなりに人生経験も増えるもの。

ましてや、それ以上の年齢になれば、なおのことだろう。

もし、自分自身を変えたい!変わりたい!と願う人がいるのなら、

ぎんは、その答えは自分の中にあると想う。

自分の中で、流れる一つ一つの景色に目を向ける、そして流れるスピードを落としてみる。

たとえるならば、自分という名の映画を見ていて・・・画面を、スローや停止状態にしてみる。

そうすると、そのひとコマひとコマで自分が何をしているかだけでなく、どんなしぐさをしていたかとか、どこを見ていたとか、

今までは、「流れの中の一部」でしかなかったことに、あらたな発見があるはず。

そこに、自分が変わる為の「鍵」がかくれているんじゃないかな?

まどろっこしい書き方をしたけど・・・

早い話、今まで見落としていた物を、進む速さを緩めてじっくり観察してみることで、

自分自身に新たな発見があるんじゃないかな?

といった感じだね。

りっぱな本のように、他人の人生にあれやこれやといったところで・・・

聞いている本人にとっては、一時だけの「栄養ドリンク」のような作用しかない。

本当に自分を変えたいなら、トレーニングをするなり、生活を改善するような、

自分を変えるための「努力」が必ず必要になる。

ぎんが言いたいのは、その努力するための「種」が「自分の中に眠っている」と、いうことだね。

先輩からの教え


職場の子が妊娠しました☆
妊娠が発覚して数週間です。不妊治療を受けていたため、今が大切な時!

同僚の先輩が「仕事中は、鏡を持って歩きなさい。妊娠中は、私たちのような仕事だと…色んなものから身を守らなきゃいけないから」と、話しているのを聴きました。


また「もし、患者さんが亡くなった時に居合わせた時、魂がそこに残ってしまう場合もあるから…患者さんに『家に、お帰りくださいね』と声をかけてあげる事も大事だよ」と、先輩が話をしていました。


私は、長年…病院に勤めていますが、妊娠中に鏡を持ち歩くと言う話を初めて聴きました。


今日、同僚が夜勤で鏡を持っていないということで、鏡を持って渡してきました。


私は、否定も肯定もしませんが…気になる方は参考までに。。。


幼少の記憶と墓参り

ぎん)人間の幼少の記憶というのは、いったいどれくらいまでさかのぼる事が出来るのだろうか?

先日、ふと・・・どこまで思い出せるかやってみた。

今回、幼少の思い出を引き出すのに関しても・・・やはり、何かをするには「ピントを絞る」(何かに集中する?)必要があることに気付いた。

今回は、「父親方の祖母」に絞って記憶をひきだすことにした。

祖母は、享年55歳。

祖母は食道癌で亡くなった。

ぎんが・・・6歳くらいに亡くなったはず・・・。

残念ながら、普段思い出そうとしても・・・顔のイメージすら思い出すことができなかった。

なぜ、その祖母を思い出そうとしたのかは解らない。

自分の中では、本当に偶然に近いものがある。

記憶を遡る・・・・・。

記憶は断片的で、繋がるものは何一つなかったけど・・・

一番古いもので、おそらく4歳くらいの記憶まで手繰り寄せることができた。

その中でも、唯一「言葉」として残っているのは・・・

「○○○はいるかい?」

祖母が市立病院の個室に入院していたときだ。

私は部屋の片隅で、叔母に買ってもらった消防車のおもちゃで遊んでいたときだ。

今になって考えると・・・あのころから祖母の意識は混濁し始めた時期だった気がする。

あと、祖母が市立病院に移動する前には、道北勤院協に入院していた。

その頃は住んでいた家も近く、よく母親と祖母のお見舞いにいったものだ。

その頃の記憶のひとコマが頭に蘇る。

おばあちゃんは「そうめん」が好きだからね~と、母親がよく、そうめんを祖母に差し入れしていた。

あ!祖母は「そうめん」が好きだったんだ!

なぜなんだろう・・・

普段なら見落としてしまいそうな、そんのひとコマの記憶に意識が向いた。

早速次の日、そのことをくろに話す。

俺ね、祖母に「そうめん」を食べさせてあげたいと想う。

もちろん、祖母はこの世の人ではない。

物理的には当然不可能だ。

こんなことをしても、ただの自己満足に過ぎないこともわかっている。

けど、どうしてもの祖母に「そうめん」を食べさせてあげたくて・・・

キャンプ用の携帯コンロを持参して、そうめんを買って、祖母のお墓の前で「そうめん」をつくった。

お墓の前でガスコンロを使って料理するなんて・・・常識のある人からみれば、バカな行為と思われるかもしれない。

ただ、自己満足でもいい。

ぎんは、想ったことをやらずに・・・

後で、あの時やっておけば良かった!と、後悔したくなかった。

自分の心が見させた幻影かもしれないけど、

その後の、思い出の祖母は・・・とても素敵な笑顔だった。

人の歩む道

ぎん)今年も残り一ヶ月を切った。

一年という時が過ぎて行くスピードはとても速い。

今年も、その年にお世話になった人たちに、ぎんのお気に入りの・・・高砂酒造の「一夜雫」を送った。

お酒を送った人達から、到着とお礼の電話が入る。

その中で、ちょっと気になった人がひとり・・・。

鳴門の父。

電話から聴こえる、父の声には力が無い・・・。

話によると、3日ほど家には帰っていないそうで・・・荷物を向かいの住人の方が受け取ってくれて、その連絡から・・・ぎんだと知り、電話をくれたそうだ。

本当にしんどいんだ~

この言葉も、途切れ途切れに、ようやく搾り出した感じ・・・といった印象を受ける。

以前の電話では、骨折の後遺症が残り・・・痛みが全然抜けず、大変なんだ~とは言っていたが、まだまだ元気はあった。

働いていた会社が倒産して・・・二ヶ月ほど、まともに仕事をしていないと・・・

この時、直感的に嫌な感じがした。

何なんだろう・・・

独特の匂い??

旨く表現できないのだけど・・・

自分がそういった状況に追い込まれた事があるからなのかもしれないが・・・

直感が、危ないぞ!?と、自分に言い聞かせた。

これは・・・本当に「ぎん」の勝手な想像なんだけど、

もし、このタイミングで「ぎん」の送ったお酒と手紙がなかったら・・・・・。

ぎんのメッセージで、前向きになってくれたらと・・・せつに思う。

ぎんは、「頑張る」という言葉が嫌い。

どんな人間だって・・・必ず生きるために、何らかの形で頑張っているから。

人から見て、頑張っていないなんて・・・そんなのは、誰かと誰かを比べたからで、同じだけの努力を誰もがしたからといって、

必ずしも同じ結果が出るわけではない。

だから・・・今回も、「頑張れ」の言葉は言えなかった。

人の生きる、歩む道は、一本だけなのだろうか・・・

年をとったからといって、人は何かを始めるのに「遅い」などということがあるのだろうか?

今、自分が歩いている道が無くなって、目の前が真っ暗になり、自分に何も無いという脱力感に襲われたとする。

自分には何も無い。

もうだめだ。

誰しもそう想うだろう・・・。

そこで逃げ出すのは簡単。

目の前にぽっかりあいた、真っ暗な大きな穴に飛び込めば終わり。

先の人生なんて考える必要は何もない。

けど、そんな時だから・・・いや、そんなときだからこそ、

今まで自分がしがみついてきた物を捨てて、新しい自分の可能性に挑むチャンスなんじゃないのかな?

不景気もあって、年齢が上になればなるほど、再チャレンジの可能性は限りなく少なくなる。

残りの人生の全てを新しい事にかけたところで、今までやってきたことと同じレベルの生活は、とうていできないだろう。

だけど・・・それが本当に悲しいことなのか?

どんなにたくさんの財産を築こうが、どんなにすごい地位を得ようが、死ぬときには何ももっていけないよ?

なら、かっこ悪くたっていい。

今まで自分が出来なかった事をやって、

人から好かれていない人なら・・・人から好かれるような・・・

自分勝手に生きてきたなら・・・

自分が出来る範囲で、人のために生きてみるとか・・・。

どんな人だって「何か」は出来るはずじゃない?

ダメだ!なんて諦めるのはいつでもできる。

かく言う「ぎん」だって・・・一時期は自暴自棄になり、自分の命を捨てようと想ったこともある。

自分の生き方なんて、けしてかっこよくなんかない。

けど・・・自分が生きていることで、こうしてブログで何かを訴えたり、身近な人の相談にのったり、

こんな自分にだって・・・出来る何かは必ずある!

特別なことなんてなにもない。

苦労が多ければ多いほど・・・挫折が多ければ多いほど、人の苦しみや挫折を感じることができるはず。

そう考えると、苦しみも苦労も、何も無駄なことなんてない。

人間の歩む道は、決して一本ではない。

どんなに辛くても、苦しくても、かっこ悪くても、諦めずに最後まで歩いて欲しいと想う。

満たされない心

ぎん)最近自分を振り返ってみて・・・ふと想うことがある。

金運、仕事、社会的地位、家庭・・・。

30代の男が欲するようなものは、あらかた持ち合わせてはいない。

これって・・・俗に言う「負け組み」

だろうな。笑

当の本人も、一時期はそのことで本気で悩んだものだ。

ただな~ナイナイずくしのこんな自分でも、「対人運」だけは素晴らしく良い!!

これが唯一の救いかな?笑

対人運・・・。

ぎんが、自分が対人運が良いな~などと感じれるようになったのは、いつごろだろう・・・

よくよく自分を振り返ってみると、30歳くらいからかもしれない。

それまでは、人は裏切るもの、利用するもの、されるもの、と何処か自分の間に一枚壁をつくっていた。

何といっても・・・自分の「親」でさえ、信じていなかったからな。

満たされない心。

人は求めれば求めるほど・・・遠くに行ってしまうもの、そして・・・自分から近寄ってくるものは、下心のある者。

そんなふうに想っていた。

これは・・・昔、俺は家二軒分は飲みつぶした!と胸を張って話していた親父と、

そんなバカな親父を食い物して、利用価値がなくなると・・・手を返したように去っていく人々を子供の頃から見てきたこともあるのだろう。

人なんてそんなもの!

ぎんは「人間が嫌い」だった。

そんな自分も、20代の前半には・・・身の丈以上の力を手に入れて「天狗」になり、自分がまるで王様にでもなったかのような気分の「裸の王様」を、気付かないうちに演じていた。

20代前半にしては、力も、金もあった。

旨いものもたくさん食べれた、欲しいものもあらかた手に入った。

だけど・・・むなしかった。

心が乾いていた。

バカだよな・・・

人は自分を映す鏡。

30を過ぎた頃・・・そんな言葉を先輩から聞くことになる。

今までの自分。

きっと、周りの人間への想いは・・・自分自身の心を写したものだったのかもしれない。

今になって考えてみると、当時は昔から付き合いのあった友達すらも疎遠になっていたな。

20代後半で、ぎんは全てを失った。

自分に残ったものは・・・虚栄心と人間不信と自己嫌悪。

自殺を考えた。

当然の成り行きだろう・・・。

ただ、死ねなかった。

まだ修行が足りなかったんだろうな。笑

そこからは・・・本当の意味での自分との戦い。

自分の価値観と現実の狭間でめいいっぱい苦しんだ。

この頃から、自分探しを始めた。

幸いなことに、何もない自分を・・・いや、何もない「素の自分」だったからこそ、そんな自分を損得抜きで助けてくれる人たちが集まってくれるようになった。

今の自分に出来ること・・・

金も地位もない自分。

そんな自分に出来ることなんて、たかがしれている。

それを考えた。

人って・・・値段やお金の価値の関係なく、喜んでくれるんだ!

自分がしたことで、人が喜んでくれる、笑顔を見れる、それが無性にうれしかった。

お金があるときは、高価なものをプレゼントすれば・・・人は喜ぶと想っていた。

けど、それって結局は「自分の押し付け」だったのかもな。

お金が無いからこそ、自分に出来ることを考える、工夫する、タイミング(間)を見定める。

人は何かをして欲しいとき、本当にして欲しいことをしてもらえる時が、一番のうれしいよね?

それが出来るようになると・・・人からもらえる笑顔も、さらに素敵なものになる。

あと、映し鏡じゃないけれど・・・

自分が人に何かをすることで、人が喜んでくれてうれしいように、

人も自分対してしてくれた時に、自分が素直に喜ぶことで、うれしい気持ちになってくれるんじゃないかな?

自分も人に対して「笑顔のプレゼント」という「幸せ」のお返しをする事ができる。

人間は「お金」がなければ生きてはいけない。

お金で人は、自分の物欲を満たすことはできる。

でも、お金で「心の乾きを満たす」ことはできない。

ぎんは、お金を失い、虚栄心を捨てることで・・・

本当に「自分の心を満たせるもの」を見つけることが出来て幸せだと想う。

もし、自分は心が満たされない!と想う人がいたなら・・・

もう一度、素の自分を見つめなおして、お金の価値観にとらわれず、人の笑顔や喜びのために自分が何を出来るかを考えて・・・実行してみると良いかもしれないね。

執着

ぎん)執着と一言に言ってみても、お金だったり、人だったり、・・・生きているうえで、本当にいろいろな物にとらわれていると思う。

今回は「恩」についての気付きがあったので・・・書いてみたいと思う。

以前のぎんは、わがままで身勝手で・・・人には自分の考えを押し付ける、どうしようもない人間だった事は何度か話したと思う。

その頃から、ぎんは人に何かをするのは好きだった。

特に・・・何か見返りを期待してやってきたわけではないのだけれど、

やはり、わがままというのか~自分を理解して欲しい、認めて欲しいという願望が人一倍強かったと思う。

ぎんが人間であるように、ぎんの行為を受けるのも人間。

ぎんが善意のつもりで行ったことでも・・・相手によっては、いい迷惑の場合もあると思う。

意思の違い・・・すれ違いとでもいうのかな。

その時は、それが歯がゆくて・・・納得いかなくて、相手から自分の思うような反応がなかったり、後で悪口を聞いたりすると・・・

「裏切られた!」

などと思ったものだ。

そこで自分が思うこと・・・

あの人には、○○してやったのに!!

こんな言葉を言っていたな。

でもな・・・

よくよく考えると、それは相手に対してなのか、自分のした事なのかはわからないけれど

「執着」だよね。

この言葉を無意識に言っている人は、きっと「ぎん」だけではないと思う。

もし、自分が何気なくこの言葉を言ったと気付く機会のあった人は・・・少し自分を振り返って考えてみてもらいたい。

自分は・・・どうして、その人のために何かをしようと思ったのか?

ぎんは、以前の自分を振り返って・・・想う。

どんなに相手のためにと想ってして、そして裏切られたとしても・・・

それは自分が、その人の喜ぶ顔を見たくてした事。

お金が絡んでくれば・・・そう簡単に割り切れないこともあるだろう。

それでも、結局自分が選んで判断し、そして決断したこと。

それに・・・その時自分は、相手が喜ぶという表現で満たされていなかったかな?

一番辛いのは・・・

自分自身が相手に裏切られた!と、想い続けることで、その相手に心をとらわれて歩みを止めてしまうこと。

いつまでも・・・辛い!と想うことを自分の両手に握り締めたままでは・・・次につかめるはずの「幸せ」まで、つかみ損ねてしまうんじゃないかな?

裏切られた相手を、相手のために許すのではなく。

自分のために許すと想ってほしい。

正直・・・人を平気で裏切るような人間は、裏切ったことなど悪いとは想ってはいない。

もし、想っているならば・・・自分から謝罪をして、関係の修復をはかるはずじゃないかな?

相手は何も思っていないのに、自分だけが必死に相手を憎み続けるのは、自分が辛いだけ。

人間の心は、そんなに簡単なものではない。

捨てなさい!と言われて・・・ゴミをすてるように、ポイっといかないのも現実。

けどね・・・

自分の気持ちのもちようと、努力次第で変わることができるのも人間!

人間の可能性は無限大!

人生なんて、本当に短い。

その貴重な時間を、くよくよ暗く生きるより、新たな幸せを見つけるために生きたほうが有意義じゃないかな?

かく言う「ぎん」だって、マイナス思考が強くて・・・やっぱりグズグズ考えてしまう事が多い。

人に偉そうに、何かを言えるほど人間できているとは思っていない。

けど、こうしてブログに書き残すことで・・・もう一度自分自身と向き合い、考えることができるから続けている。

ぎん自身の振り返りと反省なんだけど、このブログを見て・・・同じように悩みのある人が、何かをつかむきっかけになってくれたらと想う。

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