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相手の想いを受け入れること「死にたい」と言う人に

「死にたい」その言葉を聞けば…「心が弱いから」とか「現実逃避」だとか…
今を頑張っている人からすれば、

「何を甘ったれたことを言ってる?」と腹立たしい気持ちになる人もいるだろう。


心の強い人ならば…そうした自分に活をいれて、どんな苦難に立ち向かっていくのもよいと想う。


人によっては、生きることの大切さを説いてみたり…その後の周りの人達のことを説き
何とか前へと向かってもらおうと試みる方もいることだろう。

ちにみに私も以前は後者のタイプだった。



自分も死にたいと想うことがあって…周りの人達からもらった励ましの言葉。

それには、その人達の精一杯の「想う心」真心が詰まっている。

だけど…それをもらいつつも、自分の中で何とも言われない…心の違和感と空しさがあったのも事実。


どうしてか?
前のブログに書いた…「誰だって死にたいと想うことなんてある!」

あの言葉がヒントになった。


「その想いを否定しないこと」

ある意味…その人が想うそのままの心や感情を、そっくり「そのままの形」で受け入れることかな?


だってね
どんなにその想いや考えを、世間や社会の一般常識で割り切ろうとしたところで…
その人はその人の心の中で、考えて考ぬいて…出した答えでしかないんだもの。


それは誰にも否定はできないはず。

やっちゃいけないことは世の中、山ほどあるけれど…
想っちゃいけない。考えちゃいけないことなんてない。
だって、人間の心だけは誰にも縛ることはできない唯一自由なものだからね。


それにね
どんなに自分が相手の想いを自分に置き換えて受け取ろうと想っても
それには限界がある。

自分はその相手と全く同じ人生を歩んだわけじゃないからね。


だからこそ…相手を自分の価値観の物差しで推し量ることをせずに
そのままを受け入れる必要があるんだと想うのね。


あとね、「死にたい」という人って…ちょっと見方を変えてみると
ある意味不器用で「真面目」な人でもあると思う。

大切な人生を投げ出そうと想う人間の何がまじめ?と突っ込みはいるかもしれないけれど…
ちょっと考えてみて。

死にたいと想う理由は人によって様々だと想う。
体や健康のことだったり…経済的なことだったり
だけどね、最後は自分「で命を終わらせる」ということは…それ以上の迷惑を周りにかけたくないと想うことだと想うのね。

そこまで行くのに山ほど迷惑かけられたわ!と突っ込みたい人もいるかもしれない。
だけど、本人の中では「それ以上」はという限界点がそれ(死)なんだと想う。

本人の心の中では…死んだ後の迷惑よりも、自分が生きることでの将来の迷惑が勝ってしまった結果かな?



世の中を広く見据えてみて欲しい。

あなたの人生という過去を振り返れば…周りに必ず一人や二人はいるはず。

人を傷つけ、奪い、欺き…平気な顔をして我が物顔でのうのうと人生を桜花している人間が。


考え方一つでは…そういう生き方だってアリなんじゃない?

生きる為に金が必要なら、国を欺いたり、友人知人を欺いたり、金融機関を欺いたり…
やり方なんて山のようにある!

でも…どうしてそれをやらないのか?

いや、出来ないのか?


そこに目を向ければ…きっと答えは見えてくるはずだと想う。


私の知人や親戚にも、その類の人間はいる。
親がお人よしすぎることもあり、それを利用して食い物にしようと群がって…利用価値がなくなれば手のひらを返したように去っていく人々。
借金を連帯保証人に投げ捨てて、慎ましくどころか、悪びれもせずにのうのうと開き直って我が物顔で生きている連中だっている。
そんな人間を私は子供のころからたくさん見てきた。


話は少しそれたけれど…
汚く生きようと思えば、いくらでも生きるやり方はある。

でも…どうしてそれを選ばずに己の「死」を選択しようと想うのか?


そういう視点でみることができれば…
それが良いか?悪いか?ということではなくて

その人の人間性が見えてくると想う。


思いつめた人間は孤独。
暗闇を一人さ迷う…子供のようだよ。


子供をそっと抱きしめるように…
ただその存在を認め受け入れてあげる、それだけで…どれだけの人が救われるだろうか?


迷う人が自分の存在価値に気付くことができたなら
きっと…そこからまた、今の自分にできる「何か」が見えてくるはずだから。


全ての流れが急速になりすぎて…
時代についていけない人達が増えている。

その流れの中で自分が生きるだけでも大変なことだろう。


それでも…自分が一人では生きてはいけないように
誰だって一人では生きてはいけないもの。


自分も自分の周りの人の為に…ときには少し立ち止まって、暖かい手を差し伸べられる
そんな心の余裕をもって生きてもらいたいと想います。

「自分に負けるな」大先輩から貰った言葉

今日は最近知り合いになった人生の大先輩から素敵なお話を聴かせてもらった。


私は自分の子供や孫に一つだけ厳しくいっていたことがある。


「自分に負けるな」


他人にはどんなに負けたっていい。
でも…どんなに辛く苦しくたって…自分にだけは絶対に負けちゃいけない。


今の時代は自殺とかすぐに騒ぎ出すけれど…

「死にたいと想うことなんて…誰にだってある」


そこで自分に負けてしまったら…本当にすべてが終わってしまう。



あとね、私は子供に対しては…決して「ダメ」とは言わない。

自分の経験で見てみれば…子供がそれをやれば失敗することは目に見えている
でも、そんな時は言いたい言葉をぐっと飲み込んで、

後から「どうして失敗したのか?失敗したと想うのか?を聞くことにしている」


子供にとって「失敗」というのは…これから自分の人生を生きていくうえで必要な経験や学びとなるのだから。


それにね。
頭からダメだと否定されて…心を開く人間がいるだろうか?

それをやってしまったら、どんな人間だって心を閉ざしてしまうものじゃないかな?


あとね。
人生は「苦しみ」が多いほど…その分「幸せ」も多いんだよ。

考えてごらん?
ただね…なんの起伏も無い、真平らな道を…なにもなく歩き続けたところで…何が幸せなのか?苦しみなのか?それすらもわからないんじゃないのかな?

落ちることがあるから、そこから這い上がる喜びを感じることもできるものじゃないかい?




今は農家の奥さんをしているけれど…私は5歳のときに母を失い、たくさんの仕事をして沢山の人を見て、たくさんの経験をした。

でも…ただの農家のオバサンのたわいも無い話なんだけどね。と…




70代中と私の倍近い齢を重ねた、人生の大先輩の重みのある言葉だった。



そこには…今の私に必要な言葉が詰まっていた。
気がつけば…私の顔は涙でぐしょぐしょになっていた。


「自殺」を考えたことは何度もある。
いや…実際昔一度失敗したこともある。

あの生きる地獄のような感覚。

ずっと胸の奥で…眠っていたんだな。

もう…全てが時間と共に自分の中で解決されていったと想っていた。
だけど、そうではなかったなんだなぁ…。


「自殺」については沢山の人から、どうしてそれが間違っているのか?
残された人は?とか…命の重さだとか沢山の助言やアドバイスをもらった。

私も人に自殺に関しては…どうすれば前向きになれるのか?とか
苦しい胸のうちを受け止める努力をしてきたつもりだった。

しかし、それ自体を「誰しも想うこと」とストンッと受け止める…という感覚は自分の中にはなかった。


やはり私の中にも…「自殺」という行為自体がよくないことだという想いがあったからだろう。


思い出して欲しい。

自殺が悪いことだというのは…誰だってわかっている。
想ったことも考えたこともない人なら別だろう。

だけど…それを良くないもの(ダメなこと)と否定されて…人は苦しい胸のうちを打ち明けようと想うのだろうか?

人からすれば他愛も無いことかもしれないことだってある。
だけど、その時の本人は…そこから先を見失うほど苦しみ迷っているんだもの。


それをひっくるめて「受け入れること」その大切さを 自分の身をもって教えられた感覚だった。



人は人、自分は自分と…しっかりと自分をもって生きるのも一つの生き方。

だけど…
誰だって人間である以上、人生という道に迷い、進むべき道を見失うことは必ずあると想う。

そんな時に…自分を受け入れて手を差し伸べてくれる人がいたら、どれほど心強いことだろうか?



「手を差し伸べる人」やはり私は、そんな人間でありたいと想う。



また一つ…大きな学びをいただいたなぁ…
私の人生は思い出せば苦が多かったように想える。
ただ…彼女の言葉を借りれば、その苦があったからこそ…本当の幸せを感じる心を持つことができた。

そう考えると…私はとても幸せ者なのかもしれないね。

素敵な出逢いと素敵な学びに心から感謝です。


この話が…あなたにとって何か自分の変化のキッカケになることを願っています。

うまくいかない時と 心のあり方と

自分が一生懸命頑張っているのだけれど…
想うように結果が現れてこない…そんな時期ってあるよね?


人間の心って、強そうに見えて…意外にもろいもの。


誰しもうまく行かない事が続けば、不安や葛藤は自然に心の中に芽生えてくるさね。



そんな時 自分はどうしてる?

うまく行かない原因を探して、また必死に気力を振り絞って前に進む?
うまく行かない原因を他に求めて…何かを責める?
立ち止まって前に進むのを諦める?


どれも正解で どれも間違えかもね?


だってね、人の生き方なんて千差万別だもの、これって正解なんてないのさ。


時には気力を振り絞ることが必要な時もあれば、時には立ち止まって自分を振り返ったり充電することが必要なときだってある。
たまには…人やもののせいにしてみることも?笑


この中に…全てに共通する繋がる言葉がある。

自分の「心のあり方」



心には…人によって強弱はあると想う。
打たれ強い人、弱い人。

時には自分の心が壊れないように守るために…人を責めて自分を守らなきゃいけないことだってある。

だってね、自分で自分を責めるくらい苦しいことってないから…
人が人に責められるなら
環境を変えるとか、人に助けてもらうとか いろいろ方法はある。

でも、自分を自分で責めると…誰も助けようがない。


とりあえず…これをやっている人がいたとしたら、お願いだからそれだけは止めてほしい。



あとね…
うまくいかないことが続いてしまうと
頑張っても無駄なんじゃないかな?と想ってしまうこともある…。

想うような結果がでない。誰も認めてくれない…。そんな時って誰しもあるはず。


「心のあり方」


そんな時には…周りに目が向いて、自分の心が「辛い、苦しい」で覆われてしまっていると想うのね。

そんな自分の心を…そっと子供を抱きしめるように受け入れてみて欲しい。


語りかけてみて
「自分は大丈夫。頑張っているよ」って


いっぱい褒めてあげて
「自分自身」を


頑張った形は…お金や地位や名誉といった「形」にならないこともあるかもしれない…

でもね、自分自身が頑張ったことは絶対嘘にはならないはず。

それはきっと「自分の成長の糧」になっているから。


ふっと肩の力を抜いてみて…
良いことは やってくるものではなく「自分の心が決める事」だから


無駄なことなんて一つもないんだよ♪
ただ…自分自身が自分に気付いてあげて、認め受け入れてあげればよい。


人の評価は移ろいやすいものだけれど
自分で自分を認めてあげたことは、自分にとって後の大きな「自信」に繋がっていくはずだから。

マイナス思考は不器用さん

いきなりのタイトルで…見た瞬間「ドキッ!」とした人多いんのではないのかな?

日本人は…どちらかというと、楽観的な人より悲観的なマイナス思考の人が多いように感じる。

ちなみに私自身も典型的マイナス思考人間。笑
これでも日々プラスに~プラスに~!と努力はしているんだけれどね。
なかなか長年培った心の癖は簡単に変わるものじゃない。

まぁ…しょうがないね。
と諦めてしまうのは簡単なんだけど…
ここでまた私の内面の天邪鬼が顔をだす。

「おい!このまま…マイナスに流されるって…誰かに苛められてるみたいで腹立たないか?」なんて

神様が成長のための試練をくれるのならまだしも…
悪魔が私に足をかけてあざ笑っているような?そんな気にもなってくる。

ね~
誰しも経験あると想うけれど、何かを始めて…少し順調に進みかけたと想ったら
何かに足をかけられたかのようにトラブルってことないかな?

そんな時に「神様が試練を~」と想うより「悪魔が足をかけて…」と感じやすいと想うのね。


さて
何でマイナス思考の人が不器用なのか?
自分やマイナス思考が強い周りの人を例に考えてみたのだけれど…
マイナス思考の人って、結構真面目で(プラス思考の人が不真面目という意味じゃないよ)
先先を考える傾向があると想う。


先先の未来…
目標をもって…それに向かって進んでいくのは別かもしれないけれど…
それでも、全てが自分の考え想った通りの想定内のことだった経験はあるかな?

ほぼないでしょ?


考えるのが無駄ってわけじゃないけれど…
人間は自分の想うとおりにうまく行かない経験を繰り返すうちに、
だんだんと…自分の想うとおりに行かないのが当たり前のように感じていってしまうようになる。

子供の頃から抑制された環境にいる経験が多い人ほど、それが顕著に現れてくるね。


小さい子供をみていると…自由じゃない?
大人が「えっ?」とびっくりするような常識に囚われない奇想天外な発想をするもの。
自分にも…そんな時期があったんだよ。笑


それがね
学校に入り集団の中では、それが通用しないことを学び。
自分を押し殺して…さらに社会に入り…どんどん自分という存在が削り取られていく。


でもね、よく考えてみて?
その自分自身とう存在を削っているのは…他でもない「自分自身」なんだよ。


それは…周りと自分を比べてみたり、環境だったり様々だけれど
自分は自分から外は見えるのに、自分自身の姿が見えないように
自分自身を見失っているってことだと想う。

自分の姿はね、鏡で見ることができるけれど…
自分の心や内面の心理は鏡で見ることはできない。

「感じる」ことでしか、自分を知ることはできないんだよ。


あとね、さらに言うならば…
鏡で自分を映してみても、横を向いたり斜めを見たり、見る角度を変えてみないと
全てを知ることはできないよね。


それは日常でも同じことが言える。


自分という一方からの視点だけでは…物の本当の姿を見ることはできない。

ちょこっと角度を変えて見たり、時には裏側に回ってみたり

そうしてみることで…同じものを見ているはずなのに意外な発見があったりするのも事実。


それは物に限らず、対人関係でもいえること

(この人は…こんな性格かぁ~自分とは合わないなぁ~)なんて想っていた人でも
環境が変わって接し方や習慣が変わってみると…
(えっ?この人にはこんな良いところがあったんだ!?)と意外な発見があることも



時にはそれが…自分にとって必ずしもよいものばかりではないと想うけれど
それをまた、自分がどうとらえるか?によっても見え方は変わってくるもの。



自分の常識に当てはまらないものは…「ダメなもの」と拒否や否定するのか?
自分の常識にあてはまらないものを…「面白い」と肯定するのか?


考えてみて
今は日本の人口だけでも1億2000万人くらいいるのかな?
仮に1億人だとしても…自分以外の約1億人はほとんど自分と違う世界観もってるんだよ?

そう考えてみたら…自分ひとりの存在や価値観てすごく小さいものじゃないかな?


その小さな小さな一人の人間の…わずか80年くらいの一生という価値観で
世の中のどれだけのものを見て聴いて知ることができるのかな?



今の自分の生活してる環境を全てと捉えてしまえば…
そこで何かが上手くいかないと、すぐに苦しくなって息が詰まってしまうよ。


やり方がわからないのなら…感じてみればいい。

自分が良いなぁ~と人から感じることを自分も真似してみればいい。

そうすれば、少しずつでも何かは変化する。

その「変化を感じ」大切にする、その積み重ねが…自分の小さな世界から少しずつでも外に出て行くキッカケになると想います。


やり方は十人十色に千差万別じゃないけれど、これって決まった「形」はないと想う。
自分に合ったやり方を探してみるのもまた、人生を楽しむ醍醐味じゃないかな?と想います。

せっかく一度の人生なのだから、ぜひ楽しんでみてね♪

対人価値観と幸せのあり方

人間十人十色という言葉があるけれど…
百人いれば百の色があり、千人いれば千の色がある。

結局それぞれがバラバラな価値観をもって生きているんだよね。


それなのに…
「あの人は何を考えているのか解らない」
巷でこんな言葉を聞くことも…それもまた良くある話。


長年連れ添った夫婦だってそうでしょ?
長年連れ添えば…いろんな言葉では表現しきれない微妙な空気とか
感じることは出来るようにはなってくるけれど…
相手の心の中まで全て知ることはできやしない。


何が言いたいのか?

人は人ってこと。


当たり前のこと…だよね?笑

けれどもね、これが結構解っているつもりで…理解できない人が多いのも事実。

書く言う私だって…自分を振り返ってみれば、どれだけ理解してるのか?
結構疑問に想うもの。


私の失敗例をあげてみれば…
学生時代から15年以上付き合い、同棲も10年以上したパートナーがいた。
書面上の籍こそ入れてはいなかったけれど…
実際は結婚している状態に近かったね。

そんなパートナーのことですら
別れてみて…頭を冷やしてから やっと気がついて理解できたことも山ほどあったもの。


私がバカなだけかもしれないけれど…
知っているつもりで、理解できていないことって結構多いのも事実です。


さて…
これは私の失敗からの教訓なのだけれど

「人は人」そして…自分から見ても、これは…ちょっとなぁ~と感じることも
その人らしさの「個性」と想うと良い。


大事なのは、けして自分の価値観や物差しで相手を判断してはいけないということ。

それをやれば…たくさんのことが自分にとって不満の元となってしまうからね。


次に
「人にしたことに見返りを求めないこと」

自分が商品に値段をつけて…相手からその値段の代金を受け取る…ようには
きっちり価値で割り切れることなんて、ほとんどないでしょ?

私が自分の人生を振り返ってみると…
自分が人に何かをして、自分が想うような100%が返ってきたためしはない。
それを求めてしまったら…
自分の中に不満がつのって、自分が苦しくなるだけ。


もしもさらに…誰かと一緒にいたいと願うのならば
自分は相手という「主人公」を輝かせるサポーターとして一緒にいるつもりで丁度よいと想う。

これが夫婦となると…お互いが納得できるルールつくりとかもあるけれどね。


それにね
全ての出来事が…自分の想うように進んでしまえば
先の人生は最初から犯人のわかっている推理小説と同じじゃないのかな?

それじゃ…つまらないでしょ?


時々想わぬ幸運や出来事があったりするから
人生は面白いんじゃない??

時にはそんな幸運として形をかえて「幸せ」はやってくることもある。

それでも…やっぱり納得いかないな?と感じるのならば…
今自分が人にやっていることは

「幸せの貯蓄中!!」と

考えてみれば…心も少し楽になると想うよ。笑



人間は一人では生きてはいけない。
個性の違う人と人が同じ時を生きる以上、必ずどこかで交わる時がある。

そんな時に…自分が苦しくならない為に
少しでも自分の心が楽になる考え方や方法を知っていると
人生が楽しいものになるかなぁ~と想います。

少しずつで良いです。
自分に出来ることをやってみてください。

あなたの人生が幸多きものでありますように♪

シンプルに 感じてみること

シンプルに感じること
今日は快晴の日本海

シーズンオフのビーチを1人で堪能


ゆっくり自分の内面と向き合える素敵で貴重な時間

なんやろなぁ~

こんなに素敵な景色を眺めながら…
ついついいつもの癖で考え事をする自分がいる


親友がよく言う言葉
『今を生きる』

今この場所にいて…
この全てを『感じる』事が今を大切して
生きるってことなのかもしれないなぁ


ここにしかない海、空、雲、風、匂い、温かさ、全てのもの

日常に慣れきってしまうと…いろんなことが『当たり前』になってしまうこと。

今この時、この場所で…この瞬間を体感すること
それが…『今を生きる』ことなんだなぁ~と感じた。


これってけして特別な事んかじゃない

誰にでも…いつでも出来ること

だけど…皆 普段忘れてしまっていること

『感じる』ことを大切にすれば…
『感じれる』ことに感謝が生まれ
『感謝の心』は己の心に『幸せ』を呼ぶ


簡単なことさ

難しく考える必要はない。


感じることも…感謝も幸せも
どんな難解な方程式でも説明できないんだもの

感じることを大切に…
それだけで生きる実感は湧き、意味もまたできる。

人生がつまらないなぁ~と思う事があったなら

素の自分に聴いてごらん♪

きっと感じることができれば…自分の中にある『答え』が見えるはずだから

感情

感情というと…あなたなら何を思い浮かべるだろう?
「喜怒哀楽」一般的にはこの四つの感情がわかり易いね。


喜び、怒り、悲しみ、楽しむ…かな?
小さな子供を見ていると…本当に喜怒哀楽がはっきりしていて解りやすい。


大人になって社会にでると…なかなか心に想っていても、表に出せなくなってしまうけれどね。


それでも、表に出すのと「感じる」のは別物で…ちゃんと皆感じてはいるはずなんだよね。
よほど人生にいろいろあって感覚を押し殺し続けない限り、これは誰しもにあると想う。


まあね。
私も子供の頃からいろいろあって…かなりスレた冷めた人間になっていた時期もあったから、ちと解るとこもある。笑


感情。
これって…考えてでてくるものだろうか?

自分が心から感じていないのに、無理に喜んだり悲しんだり…表面はつくろえるけれど、「何か」違うでしょ?
その何か…の本質の部分と想ってもらえるとよい。


その「何か」って…自分が考えて心の奥底から呼び出すものではないと想わない?
だってね、一回一回黒魔術の悪魔召喚のように大掛かりな儀式が必要だったら…
めんどくさくて誰も怒る人いなくなって平和な世の中になるでしょ?笑


そう♪
感情って…自分の考えとは別物のように
突然「ぽんっ!」て飛び出してくるものなんだよね。

あたかも…自分の中に別の自分がいるような感じかな?


これがね~本人に似てなのか、私と同じでなかなかに頑固でワガママなやつなのよ。笑
書店の「感情のコントロール方法」みたいな本を買って読んでみたけど…たいした変わらんかった。笑


「自分を客観的に見ると冷静になれる」
よく書いてある文面なんだけれど…
確かに怒りとか出てくる度合いとタイミングは変わるけれど
やっぱり腹立つものは腹立つし…「出すのと感じるのは別物!!」というのが本音だった。笑


だってさ…
よくないって否定してみたところで…あるものはあるんだもの。
例えるならば、学校のクラスの中に不良が2~3人いて
先生が「ダメだ!ダメだ!」言ったところで…全員まじめな生徒にはならんでしょ?


そう考えると「感情」は自分とは切っても切れない自分の分身
私は子供いないけれど、自分の子供みたいな感覚じゃないのかな?と想った。


子供に限らずだと想うけれど
人ってね、ダメ!ダメ!言われて押し込められると…逆に反発していくじゃない?
一時期やったことあるけれど…(今でもやってるかな?)
ネガティブ思考(マイナス思考)って、
心の中で「ダメだ!ダメだ!」と否定すればするほど…その時は一瞬姿を消しても
どんどん奥底で大きな塊に育っていくのね。


それが…次の機会にまた大きな存在になって現れ、また大きくなって現れ
どんどん大きく育って心を飲み込み始める。


気がつけば…自分がその感情に飲み込まれて支配されていることにも気付けなくなり
最悪の結果へと突き進んでしまう人もでてくるんだよ。



だからね
「否定」しないで「受け入れて」あげて。


どんなに醜く汚い自分だって…それも自分自身。
だけど…その自分がいるからこそ「今の自分」がある。


誰しも必ず多かれ少なかれ、心に何かしらの苦しみや傷をもっているもの。
いいじゃん!それがあったから今の自分あるんだよ。
それで何かを感じたり学んだことだってあるでしょ?

今の自分がよくない!と感じるならば…
今この時から変わっていけばよい。
ただそれだけのこと。


やってしまったことを悔やむより
今ここから…良い道へ進めばいい。

過去を受け入れ、引きずられず今を生きろ!!


誠意を尽くして精一杯生きていれば…どんな過去をもっていたって
必ず見ている人は見ているから!きっと大丈夫。


自分を信じて、自分を受け入れて…自分に素直に
心豊かな人生を、あなたが歩めることを願っています。

敗北感

敗北感
『手で切れます』

見事に失敗しました。(泣)


う〜ん…
自分の不器用さを通過した一時でした。

ちっくしょぉぉ〜っ!(笑)

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