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許す 手放すこと

先日世界一のエステティシャンの今野華都子氏の洗顔塾へ参加してきました。

彼女の素晴らしいところは…顔の洗い方といった技術面だけではなく

何の為にそれを行うのか?
体だけではなく、内面の心、魂から光り輝く大切さを教えてくれる。


約2時間近い話になるので…端折らせてもらうけれど
私がその話の中でも一番心に残ったのは「許す、手放す」こと

人間…
長年生きていれば、どんなに親しい人…身近な人との間であっても
意見の食い違い、価値観の違いによって「裏切られた」と感じることは多々あることでしょう。


「感じる」ことが間違いとは言わない。
ただ…その後にどうするのか?
そこが大切だと想う。


人によっては…
求めなければ落胆もない。
だから最初から人には求めない。

こんな意見も意外に聞かれる。
書く言う若いころの私自身もそのタイプだったからね。

どうかな?
これって…ある意味人に対して心を閉ざしている状態じゃないかな?

人はある意味「鏡」の存在。
自分が心を閉ざして接すれば…相手もまた心を閉ざし開くことはない。


これじゃ~傷ついたり落胆も少ないけれど…分かり合えるのに時間もかかるし
感動が少ないんじゃないかな?
ちょっと寂しいよね?


それにね
誰しも人間である以上、必ずミスはあるものだと想うのね。
自分が最善と想ってやったことだって…受け手によっては最善とならないこともあるし。

ある意味「完璧じゃないからこその人間」なのかな?と想う。


そんな人間同士が一緒にいれば、トラブルもミスもいっぱいあるのは当然。笑
いちいち…そのことでイライラしたりキーキー言ってたら疲れるよ。
わかっちゃいるけど腹立つよね?笑

でもね…どんなことだって時間が経てば記憶も薄れて、辛いことや嫌なことも
だんだんと許せてくるものじゃない?


時間をかけてだんだんと許せるものならば…「今」許してしまえば良くない?

そんな簡単なものじゃないってね?笑

そう、簡単じゃないけどね~
出来たら楽になるってのも事実だよ。


体の傷ならば…血が出たり腫れれば、相手の目からも…どれくらい傷ついたか?想像はつくもの
ところがね
心の問題となると、目には見えないから…そうは行かないんよね。

心の傷は自分自身が感じるもの。
深く感じれば深く傷つくし…辛く苦しさも自分次第。


感受性の強い人ならば、強く深く傷ついてしまうのもしょうがないこと。

大切なのは…「その後!」


それをいつまで…自分の心の中にとどめておく?
長ければ長いほど誰が苦しむ?

そう、自分自身でしょ?


あなたが心の中でいくら苦しんでみたところで…誰も痛くもかゆくもない。
悔しいけれど、これが現実。


悔しい!悔しい!といつまでも…恨み続ける?
それって…隣の何とかって国みたいじゃない?


それなら思い切って「許して」みようよ!

許すってのは…ある意味「手放す」ということ。

今両手にがっちりと握っている「悔しい」思いを手放さない限り…新しいものは掴めないよ。


人間ね
長く生きれば生きるほど…自分の個性が強くつくられていって
簡単にそれを変化させるのは難しくなっていってしまう。

けどね
人間は完璧でないからこそ…変化の出来る生き物でもある。
考え方によっては それが長所ともいえるから。


「今」ここから何をするのか?

今持っている心の悔しさを10年後に許す?
それなら…10年私は捉われ苦しみます!となるよ。


すぐに出来なくても良い。

ゆっくりでよいさ。

あとは…やるか?やらないか?それだけのこと。


一回一回を心がけて…許し手放す。
それが出来るようになっていければ、あなたの心の余裕はどんどん増えて
自然で素敵な笑顔が溢れてくると信じています。

素敵な人生をつくるのは自分自身から♪


あなたの人生が素敵な笑顔で満ち溢れていくことを願っています。

褒めるコツ

人を褒めるというのは…本屋さんに行けばハウツー本が山のようにあると想う。

だけど、本当にそれで上手くいくのだろか?
やり方については…ああ~確かにね。と想うこともあるけれども
やはり、それは「やり方」が先行してしまい
肝心の「心」が無いような気がする。


言葉は口に出して伝えて…初めて人に届くもの
しかし、そこに「心」がこもっていなければ、それはただの空しい文章でしかない。


私が経験して想い感じた「褒める」についていくつか書いていこうと想う。


まず、以前の私は人を褒めるということが本当に出来なかった。笑

どうしてか?

建築の仕事について…同年代では人よりも高い給料を貰い
職人の世界の中でも人一倍仕事を頑張った。
その分人一倍仕事が出来ると自負していた。

「人に頭を下げるくらいなら死ぬ!、あんな使えない職人3人いるなら自分一人で十分だ!」と
傲慢を絵に描いたような人間。
だけど…20歳から27歳まで体がぶっ壊れるまでめいいっぱい仕事を頑張った。


頑張ったこともあり、人に負けるのが嫌だった。
プライドが半端でなく高かったなぁ…
だから、人に頭を下げるくらいなら死ぬ!なんて平気で言えたのかもしれない。笑

今になってみれば恥ずかしい限りだけれど…そんな時もあった。

プライドが高い自分。
自信は過信になり…何事も自分が一番じゃなきゃ嫌だ!とどんどん天狗になっていった。
まさに井の中の蛙。

誰かが人を褒めれば…相手の揚げ足をとり、とにかく自分が上でなければ気がすまなかった。

人を褒めるなんて、自分には一生縁がないと当時なら想ったかもしれない。


さらに私の叔父にあたる人間に、当時呼び込みをやっていた人間がいた。
彼の言葉が…全く心のこもっていないおべんちゃらばかり
その言葉を聞くたびに胸糞が悪くなって、余計に「褒める」ということに対して険悪な思いを抱いたこともあった。


そんな高慢な自分。

誰しも想像つくよね?

そう…気がつけば、私の周りに「友達」と呼べる人間は誰もいなかった。


27歳のときに利き腕を壊し、体はボロボロ状態。
真っ逆さまにたたき落とされ…仕事、地位、自信、金、あらゆるものを一気に失った。


それでも…ヤケなって自暴自棄な自分と一緒にいてくれた当時の彼女。
あの人のおかげで自分は、本当の人のありがたみと大切さを知ることができた。


全てを失って…当たり前が無くなって、初めて自分の愚かさと無力さを痛感した。

反省の日々。

意ままで見下してきたものよりも…惨めで哀れな自分。
自分がその立場にたって始めて本当に自分が馬鹿なことをしてきたことに気がつく。

悔いた。
とことん悔いた。

泣いた
めいいっぱい泣いた。

でも…それは自分の中だけでのこと。

それは…言葉にださなければ相手には伝わらない。


ここで自分の中の「プライド」との戦いが始まった。

「今更かっこ悪い」そんな想いが…自分を押し止めようとする。

だけど…このままじゃ何も変わりはしない。


友達のところ一人一人のところへ行き、今までの自分の行いを謝罪した。


困惑する友人たち…
まさか私の口からそんな言葉を聞くとは想わなかったのだろう。
だけれど…
本気で心から謝罪しているうちに…勝手にとめどなく涙が溢れ出した。

その「想い」が伝わったのか…すぐにとはいかなかったけれど
徐々に以前のように友人付き合いをしてくれる人が増えてきた。

ここで私はようやく…今まで自分を縛り続けてきた、ちっぽけな「プライド」から
開放されることができた。


プライド…私は人を褒めることによって…人が自分よりも上になってしまう
それは「自分の価値が下がる」と勘違いしていた。
だから、人の粗を探しては足を引っ張り、自分を必要以上に大きく見せようと足掻いていた。


ある時気付く
誰しも…人の出来ないところや粗というのは目につくはず
「目につく」ということは…それだけ「相手を見ている」ということ
もし、相手がどうでも良い人間だったら…眼中にさえ入らないでしょ?

ちょっと視点を変えてみる
相手の粗ではなく…それを相手の「長所」を見る視点に変えてみる。


あとね
人を褒めるのに大切なことは
「自分の物差しで相手を見ないこと」

例えば極端な例でいえば…大人と子供
子供にとっては努力してやっと出来たことだったとしても…大人にしてみれば「出来て当たり前」のこと
それじゃ~子供がどれだけ努力したところで、いつまでたっても頑張れ!とせっつかれるだけで褒められることはない。

これは人間関係でも同じことが言えると想う。
どんなことをやってみても、必ず人間が人間である以上「得手不得手」はあるもの。

一人がすんなり出来たからといって…それを基準にしてしまうと
それよりも至らない人は皆ダメな人のレッテルを張られる存在となってしまう。


だからこそ
本当にその人を褒めたい!と想うならば…
その人を基準にして、その人の純粋な成長だけを見ることが大切。
けして…○○歳なんだから、とか 社会人なんだから「出来て当たり前!」なんて想わないこと。


あとね、呼び込みをやっていた叔父の話をしたけれど…
言葉には「心」がこもっていなければ、それは街中に流れるノイズやテレビのCMのように
ただその場を漂う「音」になってしまう。

それでは決して相手の心に残ることはないし
ましてや相手の心を動かすことなんてできやしない。


人によっては…劣等感の塊のような生き方をしてきたり
褒められなれていない人も世の中にはたくさんいる。
褒められても…それを素直に受け止められない人も本当に多い。

そういう生き方をしてきた人の心を動かすのは本当に至難の業。

だけどね…良いんだよ。
一回で受け取ってもらえなくたって。

「せっかく褒めてやってるのに…なんだよ?」と想う必要はない。

本当に自分が…心から「この人のここは素晴らしい!!」と想えばいい。
そうすれば、相手が謙遜なのか否定なのかわからないけれど…
すぐに受け入れてくれなくても、
「自分はあなたの○○が素晴らしいと想っている!」と胸をはって自分に自信をもって「言い切る」ことができる。


一回ではなかなか受け入れてもらえなくても…
これが二回、三回とやっているうちに、少しずつでも相手の心には何かが残っていくはずだから。


褒めるということは…相手を「認める、尊重する」ということ。

ある意味、自分を解ってくれているということでもある。


人は誰しも…どこかしらに孤独感をもっているもの。
誰かに認めてもらいたい、受け入れて欲しいと…心の片隅にその想いはあるものだよ。


ある意味「人は鏡」

自分が心を開き、相手を受け入れることで…また自分も人に受け入れてもらうことができるようになる。


人を蔑み、侮辱し、傷つける生き方を続けていくなら…それもまた自分に巡り巡って返ってくるもの。


あなたの生き方はどうかな?


まずは「自分から」だよ?


人を認め、受け入れていく。

これが自然に出来るようになっていけば…
きっとあなたの周りには、あなたを必要としてくれて応援してくれる人の笑顔が増えて
幸せ多き人生になっていくと想います。

一筋の光明

本日、中村文昭さんの講演会が鷹栖メロディーホールにてありました。


毎度の事ながら…彼の話には生きるために必要なヒントがたくさんあります。

今回はタイトルにもあったように「母への想い」と耕せ隊の話がメイン。


その中で私にとってこれだな☆と思えることがあった。

「天命型」人を喜ばせて人を輝かせるサポーター的役割。

彼も何かしら目的や目標をもつわけでもなく…目の前にある自分に出来ることを
精一杯やっていくことで、人から必要とされ…未来が開けていったと話していた。

もう一つは「目的型」
これは欧米社会のように…「自分」という存在を中心に、その未来を切り開いていくタイプ。


私は…私の周りには本当に一芸に秀でた素晴らしい人達がたくさんいる。
彼らを見るたびに…自分もそうありたい!そうなりたい!そう想った。
でも、自分はとても彼らのように「特別」になれる存在じゃない。

本当に自分の凡人ぶりを悔やみ嘆いた。


自分に何が出来るのか?

当たり前のことを当たり前のようにやることしかできない。
それも…精一杯。

これくらいしか…自分にとり得はないのだもの。

だけどね、今日の文昭さんの講演会で救われる想いがした。

いや、7月の体会議の時にも、中山予防医学研究所の中山先生から言葉をもらった。

私「私は雑用くらいしかできません」

先生「雑用をきちんとできない人は何をやってもダメなんだよ」と

今回文昭さんも同じような内容を話していた。


当たり前のことや雑用を精一杯頑張って…人を励まし、長所を見つけて褒める。これくらいしかできない。


だけど…
今回の文昭さんの話で、それもまた天命型という「人を輝かせる役割」があることを気付かせてもらえた。


特別な何者にもなれず迷い続けた自分。
特別になられなくても良い。
それでも…自分が人の為に役にたてることがある!

本当に暗闇に一筋の光明を見た思いだった。


もう…特別になれないと自分を卑下することは止めよう。

自分に出来ること。
それが解った今は…自分に出来ることを探して精一杯やるだけだよ。


今回は私事ではあったけれど…
競争社会の現代において、目標ややりたいことをなかなか見つけれず、自分の存在すらも見失っている人も
きっとたくさんいることだろう。


私は一言言いたい。

特別にならなくても良い。

特別でなくたって…あなたにできる事は必ずあるし、それを諦めずに続けてやっていけば
それはきっとあなただけのonly oneになる時がきっとくるはずだよ。


あなたがあなたらしく
自分に誇りをもって…自信に満ちた笑顔でいられることを願っています。

流水のごとく(心のあり方)

『心の流水』
あるがままの流れ自然を受け入れ
『受け流す』こと

例えば…世の中誰かが死んだとしても…
悲しむ人はいても
同じ瞬間に死ぬ人はまずいない

誰かがいなくなったとしても…
時の流れは変わることはない

全てを自分の世界観に収めようとするから…
『自我』という心の滞りが出来て心の病に繋がっていく

それは身体の病も同じ

全てはあるがまま…

あるがまま…を自然と感じて受け流し
そこで自分に出来る事を探して行けばゆいのかな?と思った

流れの全てを受け止めようとすれば…
どんな大きなダムだって壊れてしまう


あるがままを
あるがままに受け入れ、受け流してく…

それが自分の心を平穏で保つコツじゃないかと感じた。

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