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母親を許すと決めた日

先日 自分の人生36年間に一つの区切りをつける決心をして母親に逢いにいってきた。


「母親を許す」

人によっては…子供のくせに、お前は何様だ?と想う人もいるかもしれないけれど…
人は千差万別。
こんな価値観をもった人間もいるのだな。と広い心で見てもらえるとありがたいです。



この日…お袋と逢い

「今日は一つの区切りをつける決意できた」と言ったら…
お袋は驚いた顔をしていたね。


私の36年の人生…子供の頃からの記憶をたどると…
自分で今までそれは仕方なかったこと。と処理しようとしても
どうしても引っかかってしまったことがある。


「私は…生まれてこない方が良かったのではないのか?」そんな想い。


記憶をたどると…それは4歳くらいのことだろうか

当時は親父は「呑む、打つ、かう」の三拍子揃った愚か者。

とは言っても…私は父親が21歳の時の子なので、父親は24~5のまだまだ遊びたい盛りのお兄ちゃん。
そんな父親と父親より3歳年上の母の間に私は生まれた。


父親は季節労の作業員。
冬には本州へ半年間くらい出稼ぎに行くのが通年のことだった。

冬の間は母と私の二人暮らし。
そんな時に…母は私に辛くあたった。

「あんな男と一緒にいるのは…お前の為だ!お前がいなければ…」

確かに私の将来の為だったのかもしれない…
だけれど、私にとっては…その言葉が私の存在自体が母親を苦しめる「忌み子」として自分の中に呪縛として刻まれていった。

5歳の時に、私は母にくってかかったことがある。
そんなにお父さんが嫌いなら…あんな男と別れればいい!
僕は一人で施設にはいる!!
5歳の…子供が言う言葉だろうか?
当時の私は物心ついたばかりの幼子の心で、その意味を自分なりに理解していた。


母親にとって私は邪魔者。
その後も…たくさんの愛情を貰って…愛されている。解ってはいても心の奥に刻まれた刻印が容易に消えることはなかった。

母は弱い人だった。
父が出稼ぎにでると…まともに給料も送らず、逆に金をせびることすらあった。
それを夜働きにでてお金を作る。そんな生活。
酒におぼれ荒れて…子供にあたる母親が恐ろしかった。


今になって思えば…
網走から親戚一人、頼れる人もまともにいない旭川に一人嫁ぎ、旦那の親や親戚は冷たく…唯一見方だった義母は55歳で早くに他界。
そんな中で20代のお姉ちゃんが子供を抱え生きる現実。
容易でないことがわかる。

今なら理解できることもあるけれど…やはり自分の奥底には理解や思考といったものとは別の
自分ではどうにもならないものが眠っていた。


それがなぜ今なのか。

先日、私の心の奥底から…この想いを引きずり出してくれた人がいた。

酒も入っていたし、何をどう話したのかはいまいち覚えていない。

ただ…私は孤独になる恐怖でガタガタとひざを抱えて震えていた。
それを抱きしめて、ただただ嗚咽を漏らしながら泣く私を受け入れてくれた人がいた。


心の奥底に眠るトラウマ。

3歳のころか…
夜中に目が覚めると、一人布団に残された自分。
どんなに泣き叫んでも母親が戻ることはなかった。

4歳…5歳になる頃には両親は共稼ぎにでて、私は鍵っ子として育つ。
兄弟や親戚も近くにはいなくて、何時も一人でいた記憶がある。


別に自分が特別不幸とも想っていないし…回りには私以上の大変は想いをした人も山ほどいると想う。
ただ…これは、私が体験した事実ということ。


この想いを引きずりだして受け止めてもらい…ようやく過去の現実と向き合ってみる覚悟ができた。




母親と

「今まで36年間。私はこんな想いを抱いて生きてきた」
「私は…その想いを今ここで区切りをつける為に、あなたのしてきたこと全てを許します」

「私も36年間、あなたに酷いことを言ったこともたくさんある。それを許して欲しい」
「そして…私の存在を許して欲しい」と


(そうかぁ…   そんなこともあったね。  おまえには許すどころか、生まれてきてくれて感謝しかないよ)
(私こそ…良い母親でなくてごめんね)


(わかったよ。  おまえの36年を 許します)


「お袋はきっと…私にしてしまった事で自分を責めて、苦しんだこともたくさんあったと思う」
「だけどもう…私のことで自分を責めないで。私は全てを許したのだから」

「36年の区切りはついたよ。だから…これからは新たな気持ちでお互い歩んでいこう」と


お袋は…ただただ (申し訳ない…   ありがとう)と泣いていた。


こうして私の中でのトラウマと一つ区切りをつけることができた。


想いを伝えることの大切さ…
そして、受け入れることの大切さ。

そして何よりも…「許す」ことは人の為ではなく自分自身の為ということ。


許すことで「手放し」自分自身の心を軽くすることが出来るから。


捉われ憎しみ続けることは…ある意味生き地獄で自分自身への拷問かもしれない。
それをやって喜ぶ人はいないし…相手は何とも感じていないことだって多々ある。


許すは「己の心の開放」と想ってもらえると良いかもしれないね。


もし、あなたの心の中にも「捉われた何か」があるならば…
「許し手放し」自分で自分を救ってあげてほしい。


誰しも幸せになる権利をもって生きている。

自分で自分を苦しめるのは止めて…皆が幸せになって欲しい。

心から そう願います。


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コメント

初めまして。
この記事に勇気をいただきました。
私も母親と決着をつけてきます。
ありがとうございました。

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