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鎌倉の大仏

鎌倉の大仏
鎌倉の大仏
鎌倉の大仏♪後ろ姿が…淋しげな哀愁たっぷりの姿に見えるのは気のせいでしょうか?(笑)

自分に素直になる

さて…自分に素直に。

あなたなら…この言葉をどう捉えるだろうか?


以前の私ならば…

「自分」という言葉を出すだけで…それは「我」や「エゴ」といった強いイメージがあった。

なぜなのか?
自分の深層を抉り出してみるとそこには…やはり幼少の頃から記憶に刻まれた
「心の傷」があったことに気付いた。


私の父親は本当に自由奔放身勝手を絵に描いたような人間だった。
そのおかげで…私は実家を出る頃までは、
「いつ殺してやろか?」といつも父親に殺意を持ち生きてきた。

今となっては懐かしい笑い話になるけれど…
それでもやはり幼少の頃の心の奥底に刻まれた傷は簡単には消えてはいなかった。


さらに言えば…
仕事が休みの日にパチンコへ出かけて、負けて帰ってきては酒を呑み荒れる父親。

季節労働者で冬場にには父がいなくなり…酒に溺れて行き場の無い怒りや悲しみを私にぶつける母親。

そんな二人の前では…私はいつも二人の顔色を伺い「良い子」を演じていなければいけなかった。


本当の自分…。
いつの間にか演じる自分が本当の自分に成り代わり
自分の本当の気持ちは押さえこまれ…置き去りにされ。

「自分て何??」と自分がわからなくなっていた。


自分を出すことはエゴ…
いや、自分をどう?本当の自分を見失っていた自分にとってみれば…
「それ」を自然に表に出すことができる人がうらやましかったんだと想う。

だから…それはエゴだ!と否定することで
自分はそれで正しいのだと…自分を擁護して自分を正当化するしか
自分を守る方法がなかった。

そんな生き方しか出来なかった。


だけど…違う!
そうじゃない!
本当の自分は違うんだ!と心のどこかでいつも本当の自分は訴えていた。

でも…今まで30年以上そうして生きてきた…
何をどうしていいのか?その表現の仕方がわからなかった。


本当の自分がそこにないから…
いつも周りの空気に合わせて、当たり障りのない付き合いをする

「良い人だね」

そういわれる度に胸が苦しかった。



本当の自分てなに?

去年から自分の中で心がけていることがある。

自分を「認める」こと「許すこと」

どんな自分も否定せずに、その一つ一つを受け入れてみよう。

少しずつだけれど…簡単にはうまくはできないけれど…何かか
本当に少しずつだけれど変わり始めた。



今の自営も始めてから約2年が過ぎた。

自分の中の迷いが技術の迷いを生み…
心の迷いは「手」にてきめんに現れる。

ただでさえ少ない収入は激減し…

正直…もうダメだ。と心が折れかけた。


開業するときに自営の先輩から貰った言葉。
「理念」をしっかりもて。

理念とは…自分が何の為にその仕事を始めようと想ったのか?
それを大切にしろと。
そうすれば…本当に自分が苦しいときに「それ」が心の支えになってくれるよ。と



自分の理念。
そう…
一人一人のお客さんにしっかりと時間を使って向き合い
自分もお客さんも手技だけではなく、話をする、聴くことで
身体も心も楽になってもらおう!と想っていた。

そして屋号につけた「癒し屋 癒和」

「癒」しで 心と身体の調「和」の頭文字と語尾をとって「癒和」と


そんな人に認められる…もっとらしい理念を掲げた。


だけど…そこには昔から演じ続けてきた「良い子」の自分しかいなかった。

人の喜ぶ顔が好き。
人の為に…。


いつも人の為…人の為と自分を演じ自分を殺し、削り続ける自分。


やっていて正直苦しかった。


だから…人から見返りがなければ落ち込み。凹み
やっている意味を見失う。

完全にそこには本当の意味での「自分」がいなかった。



(本当にもうダメだ…)
そう想った時に…ようやくやっと
「本当の自分はどうなんだ?」と自分の本質に問いかけることができた。


本当の自分。

私は昔から母親の強い束縛を嫌い…いつも自由を求めていた。
だけれど、そん半面すごく寂しがりやで臆病。
(もしかすると…母親はそんな私をしっていたからこそ、そういう接し方をしていたのかもしれないな。)


自由。
自分の思うがままに「自分らしく」生きたい。

そんな願望が自分の奥底にあったことに気づいた。

本当の自分は…?
今の仕事で言えば…
「誰にも拘束されずに、自分が好きなときに好きなことを出来る自由な時間が欲しい」
この願望がとても強かった。

人に優しく接するのは…自分が優しくされたいから。
人を大切にしたいと想うのは…それ以上に自分が大切にされたいから。


!?

改めて本当の自分の深層を心理を知ったとき。

認めたくない!違う!と否定したい…今までの良い子の自分が顔を出す。

でも、違う!
それが本当の自分なんだ!!

認めるのが怖かった。

だって…それを認めてしまったら…自分は偽りの人間「偽善者」でしかなくなってしまうのだもの。



でも…受け入れた。
苦しくて…苦しくて。
自分がものすごく汚い存在に想えて…消してしまいたい!と強く強く想った。



だけど…そこから目をそらしたら、いつまでも自分という存在は確立することはできない。

いつまでも私という蜃気楼のような実体の無い存在で終わってしまう。


本当に自分としていきたいならば…それを受け入れるしかない。



自分を。認める。受け入れる。許す。


まずはそこからだね。

人の為と自分を偽って生きるのはやめる。
そこに自分はどう在りたいのか?それが大切。


せっかく一度の人生なのだもの…
自分を大切に生きないと…自分が可愛そうだよ。

自分とは「唯一無二」の愛おしい存在。

自分を愛し、そして人を愛する。

人だけの「自分我」や
人にだけの「人にだけ」にならずに

全てに愛を持って接して生きて行きたいと想う。


私の人生の第二幕は「今」ここから。

今をそして…自分を、人を大切に愛を持って生きて行きます。


長い文章を読んでくださり、心より感謝です。

ありがとう。

言葉(想い)は自分へ返る

言葉。
本当に普段当たり前のように使っているよね?

だけど…人はこの「言葉」のおかげで
自分の意志を相手に伝えることが出来るし
相手の意思を受け取ることができる。


さて、上の文章でわざと漢字を変えたの気付いたかな?
ただの間違いだろう?って…?笑

確かに間違いたくさんあります。
今回は間違いでなく意図的にやりました。笑


「意志」と「意思」


そう、言葉には「想い」が入るとそれはある意味「力」となる。


あなたなら…それをどう使うかな?

相手に対して「悪意」をもって使えば、それは相手を傷つける凶器となるし
相手に対して「愛」をもって使えば…それは相手を救う薬の役割ともなる。


そして自分が発した言葉は巡り巡って…最後は自分の元へと返ってくる。

そんなわけないだろう?

確かにね
それは…人によって様々だし、時に長い「時間差」をもって返ってくることもある。
そしてそれは、同じ言葉という形に限らず…その「想い」は形をかえて
別のものとして自分の元に返ってくることもある。


それは私の人生でどちらも体験したこと。


私の場合は…20代のころ相手に対して傷つける言葉を吐き続けて
それがまるでダムにせき止められていた?かのように溜まりに溜まったものが…
最後は自分に「結果」として返ってきた。

一回一回で考えてみれば…そんなに自分は相手に対して酷いことをしていない!と想っていたけれど
それを受ける相手にしてみれば、本当にダムに水が溜まるかのごとくの気持ちだったんだろうね。


その逆もまたしかり。

相手に対して「愛情」を持った言葉を使って接し続けた結果は…
これまた同じ。

自分が本当に苦しい!しんどい!と想ったときに…
どれだけ周りの人達から温かい救いの言葉をたくさんもらったことか。


人間は一人では生きれない生き物。
だからこそ…奪い傷つけあう悲しい生き方よりも
このご時勢だからこそ、人を大切にして…人から大切にされる温かみのある生き方をしてもらいたいと想います。


そしてそれは…自分の本当の意味での集大成の時
「臨終」の時に強く思い知ることになります。

あなたのたった一度の人生。
だからこそ…本当の意味で幸せになってもらいたいと想います。

許せないの「種」は自分の中に

日常生活をしていると…対人関係の中で
あの人は苦手!とか、嫌い!というのは良くある話だと想う。


それが度を越えると…

「許せない!!」となることも時として出てくるもの。


これって浅い付き合いの時には、それほど意識することもないのだけれど…
その人のかかわりが強くなれば時に見えてくる厄介者。


私も去年の後半に出会った人の中にそういった人がいた。


大好きだけれど…大嫌い!!

この矛盾した何ともいえない複雑な気持ち。


他人からすれば…わけのわからない話になってしまうけれど

本当に一人の人間に対して両極端の感情がある。


さて…
それはどういったものか?と言うと


凄く寂しがりやのクセに…変に強がって素直じゃなくて
「失う」ことが凄く怖くて…相手が少しでも自分から気がそれた??と感じたら
どんなに深いつながりの人でも自分からその関係を破壊しようとするところ。


60歳を過ぎた おっちゃんに見た人間性。

おいおい!
仮にもある団体の代表だよ?
人としてそれってどうなのさ?と怒りを感じたもの。


それは私に個人的に向けられたものではない。

側で垣間見たことに過ぎないのだけれど…どうしても許すことができなかった。



この人について行くのは無理かも?と一時は想いもした。


しかし、少し時間を置いて冷静に自分と向き合ってみた。


感情の奥底に潜む「本音」の部分は???



何のことはない。
自分もよくよく考えてみると全く同じ気質をもっていた。

解る人から言わせば…似たもの同士じゃないの?と笑われそうなこと。


そう
今でこそ…「それ」はなりを潜めているけれど…
私が20代の頃には、同棲していた彼女を失うのが怖くて
いつも自分に自信がなくなり、相手に対して不安感が芽生えたときに
その関係を自分から壊そうとした。

何度も泣かせたな…  本当に大ばか者。

それでも、元かのの忍耐強さもあって、私は少しずつだけれど人を信じれるようになった。

今なら想う
この人も60歳を越えて…たくさんの人の上には立つ立場になったけれど
本音の部分は凄く臆病で、自分に自信のない人なのだと。




こうして「本音」の部分をしっかりと見てやればなんの事はない

相手の「許せない」部分は

「自分の中の許せない」部分だった。



「自分を許す」
それが出来たときに…本当の意味で相手も許すことができるのかもしれないね。


許し受け入れる。
簡単そうで簡単ではない。

だけど…これができるようになれれば

「自分自身」が本当に楽になる。


そして…許せない相手がいるのならば
きっと「それ」を自分が受け入れることが出来た日
自分が相手にとっての一番の理解者となれる日なのかもしれないね。



ただ漠然と「嫌い、許せない!」と想うことを
一度少しだけ冷静になって自分に置き換えて見つめてみると
意外な答えが見えるかもしれないです。

楽しむこと

楽しむ。
自分がやっていて楽しいのは一番だけれど
人が何かを楽しそうにやっている姿をみるのも…また楽しいもの

人が…今自分がやっていることを「楽しい」と想うことってどんなときだろう?


これを意識して普段からできている人は素晴らしいけれど
なかなか全ての人がそうとは限らないよね?


楽しむって…想ったんだけれど
「人の目」を気にしていると、なかなか楽しむことって難しいなぁと感じた。

人の目があると、人間無意識に「上手く!」と意識して余計な力が入って萎縮してしまうのではないだろうか?


ということは…
ある意味「自分の世界」に入り込んだときが…楽しむに繋がるのじゃないかな?


あと自分のことで思ったのが
私はカラオケが大嫌いだった。

カラオケ大好きの人は歌っていて楽しそう。それは見ていて聞いていて楽しい。
だけど…一緒にカラオケに連れていかれると、
必ず「唄わないの?」と強制されるのが嫌だった。

だけど…なぜそんなに自分はカラオケが嫌いなのだろうか?

一つ気付いたことがあった。

私は自分が嫌い。(今は好きになるため努力中)

なので…もちろん「自分の声」も好きではなかった。

マイクを通す自分の声を聞くのが嫌いで、大きな声をだすことにためらいがあった。


そこでちょっと試してみた。

私は自分の声が大好き!だから自分の声をもっともっと聴きたい!と自分に言い聞かせて
ある意味自己暗示をかけてみた。

すると…どうか?
いきなり大きな変化とはいかなかったけれど…
明らかに、前よりも多少なりとマイクを通して声を出せるようになった。


それともう一つ
私は字を書くが好き。
字…というか、こうして「文章」にするのがすきなのかな?
自分で書いて、自分で見ているのにはよいのだけれど
あまりに酷いクセ字の為に…人に見せるのが嫌だった。

これにも同じことをしてみる
「自分の字が好き」

ま~それでいきなり字が上手くなるわけではないけれど…
書くことに対しての抵抗は減ったね。


さて、まとめ

楽しむというのは…ある意味

「自分を好きになる」ことから始まるんじゃないかな?

自分を好きになって、こそ自分の出来ること…関わること、考えることとか
いろんな周りのことも好きになっていけて

それを受け入れれたときに、人はそれを楽しむことができるんじゃないかな?と想った。


日本人は生真面目な気質の人が多いからなりやすいと想うけれど

全ての事を「うまく、うまく!」とやっていたら…

やりたくてやっていたことが、いつのまにか「やらなきゃいけないこと」に変わってしまうでしょ?

それじゃ~楽しむどころか「苦行や修行」になってしまうよ。


それすら楽しめれば最高だけれど…流石にドMの私でも
それはちょっと簡便してほしい。笑


「きっかけ」と「気付き」があれば人は変われるもの。

また今年も私の気づきが誰かの気付きに繋がっていけば良いなと想い書いています。

今年もよろしくお願いします。

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