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呼吸

「呼吸」

ここ最近で自分の中で気付いたことです♪

去年あたりからバタバタと時間の流れが慌しくなったせいもあり
かなり精神的にアップダウンが激しい日々を繰り返していました。
精神的にも緊張状態が続き…自己メンテナンスで身体をほぐすも
なかなか身体の硬さがとれませんでした。

一昨日に知人の助けをかりて
深い瞑想状態に入ることができました。

いつもは思考重視の感覚を一度切り離して
感覚を呼吸と身体の中心に集めます。

深い深い呼吸を意識していくと…いつもまにか
ふわふわと空を風のように漂っている心地よい感覚になれました。

そのうちに…体の芯がブワッと熱くなるのを感じて
動いてもいないのに全身から汗が一気に噴出してきました。

身体は一気に緩み
緊張の解けた心もまた一気に緩みました。

この時の私は不安や恐怖の感覚は全く無くて
ただただ そこに存在しているのが心地よく
至福の感覚でした。

人は息を吐いて産まれ
息を引き取ってこの世を去ります。

日頃 忙しい毎日の中で「呼吸」に意識を向けるのは難しいかもしれませんが
人にとっては、食べ物や水を得る以上に大切なことです。

人や自分への優しさは心のゆとりから

深い呼吸で心と身体を緩ませることで
少し気持ちにゆとりが出来ますよ♪

自分を大切にすること~(第二幕)

今回も自分を大切にすることについて学びがあったので書きます。


自分自身が自分を大切にしたいと思っているのか…?
ここ半年くらい、本当に「これでもか?」というくらい多方面のそれぞれが繋がりのない人達から言われ続けているんです。

今回もそういったアドバイスの中から自分なりに
どうして自分を大切にすることが大切なのかの気づいた点を書いてみます。


まず
自分を大切にするということは…
自分の「我」を通すわがままとは別ものであるという事を認めること。

日本人は昔から控えめが美徳とされてきたし
資源の乏しい島国にあって、少ないものをどうやって分け合って生きていくか…
その為には自分を多少犠牲にしてでも相手の為に生きる。
そうやって祖先は生きてきたし、祖先から受け継いだ私たちのDNAの中にも「それ」が刻まれている。

だから
自分を大切にする。
「まず自分」という考え方がなかなか無意識に受け入れられずらくなっているのかな?と思ったんです。


まずはそこから~なんだよね。
ここのブロックが外れないことには、いくら自分が大切!大切!と刷り込まれたところで
わかっちゃいるけど…と、「わかっているけど出来ない」という苦痛にしかならないね。
更に言われ続けりゃ~
ヘタすりゃ…出来ない自分がダメ人間にすら思えてきちゃうからね。

自分を大切にすることは
「ただの自己中のワガママじゃない」そこからスタート。
(行き過ぎると、ただの自己中になるので…しっかり後でバランスとってね♪)



さて どうして自分を大切にする必要があるのか?

自分が自分を大切と「認識」する為。
そしてそれが…自分という「感覚」の認識作りのため。

人間生きていれば、プラス面よりもマイナス面での出来事との遭遇が多いもの。
そこで、何があっても自分を「否定しない」為

人は何かに失敗すると、自分自身を…ヘタをすればその人間性まで否定してしまう。

たまたま運が悪かっただけかもしれない。
ほんの少し何かが違ったらよかったかもしれない。

なのに…そのまずかった「行動」ではなく
人間性まで否定してしまうこともある。
(ちなみに…完全に私はこのパターンでした)


それでは一回一回の出来事で心の状態の浮き沈みが激しく、エネルギーの消耗も激しいし
何より、上がってくるまでの気力充電期間は前に進むことができない。

何よりガス欠状態なので、心にゆとりがあるわけもないし
心にゆとりがなければ…人に優しくも出来ないし、もちろん笑顔になれるわけもない。

そんな人間と誰が一緒にいたいと願うかな?

優しい人は寄り添って何とかしたい。と思ってくれる人もいるかもだけど
それは自分が人に何かを出来る状態ではないよね。

ましてやそれが身近な人同士、会社の同じ部署だったり、学校の同じクラスだったり
家庭内だったり。

同じ落ち込んだ精神状態の人が同じ環境でいたなら??

ゆとりがなければ、相手を受け入れることも出来ずぶつかりトラブルの原因になることは想像に難しくないね。



さて 自分が好きなこと、ワクワクする事を大切にして意識して
その時間を増やしていく。
(忙しい中でも、一日一回、もしくは5分好きな音楽を聞くとかでもOK)

笑顔が増えて、心にゆとりが出来る。
心にゆとりが出来れば…人は人に優しくできるようになる。

何よりいつも素敵な笑顔で優しい人は輝いて見えるよね?

誰だって…いつも下を向いて、ため息ばかりついている陰鬱な表情の人より
自分の話を笑顔でニコニコと聴いてくれる人と一緒にいたいでしょ?

人が集まれば、その後に「ご縁」や「知識」 「情報」がついてくる。
何より「お金」は人の後にしかついてこないからね。

(商売をしていた うちの亡き祖父が言ってたな~ 「商売は まず人を大切にしろ」と)
(祖父はお客さんは大切にしたけど…家族を大切にしなったね。だからこれは万人に平等にね♪笑)
(そう言えば…叔父が祖父から継いだ店を潰したのは「金」を求めすぎ「人」を疎かにしたからか…)

ちょい脱線しました。失礼。


お金の流れが増えれば…さらに自分に出来ることが増える。
出来ることが増えれば、それはまた自分に還元するもよし♪人の為に使って還元するもよし♪

どんどん出来ることや楽しいことが増えていく♪

だけど好転間が多し。必ずコケるときもくる。

そんな時に、しっかりと自分を大切にして 自分という「土台」があれば
またそこからしっかりとやり直しも効くもの。


最後に
たくさんのお金を持ち、物という面では凄く恵まれている人達もいる。
だけどね…
どんなに頑張ってかき集めたお金でも、それが自分さえよければの「自己中心的」なものでは
人は…いや、「人の心」は集まらない。

テレビに映る政治家の先生方や 権力、地位をもった人達を見てみて。

本当に幸せそうに素敵な笑顔の人ってなかなかいないでしょ?

金や地位、権力があっても それを目的とした人間は集まる。

それは…その人自身を好きなんじゃなくて、その副産物が好きな人間が集まっているだけだよ。

利用価値がなくなれば、クモの子をちらすように居なくなってしまう。

私はバブル期に利用され食い散らかされた親から学ばせてもらったよ。


この世に生きるにはお金が何より必要と感じる。
金さえあれば何でも出来る!そう感じるのも無理はない。

だけどね、金はあっただけじゃ幸せにはなれないよ。

本当の幸せは金で買うものでも、人から貰うものでもない。

「感じること」自分の中にあるから。


人は一人では生きれない。
本当は寂しがりや。

人と人が本当に良い関係でお互いを認め、尊重しあいながら繋がっていくのが
本当の幸せだと私は想います。


長くなりましたが
書く言う私も…まだまだ これに気づき実践を始めたばかりのひよっこ。

これからもたくさんの方と出会いをいただき
学び、成長を続けていきたいと想います。

そして私の気付きが…まただれかの気付きのキッカケになることを願っています。

いつも長い文章を読んでいただき ありがとうございます。

自分を大切にすること

ここ最近…一年くらいの間に、つながりのない沢山の人達からこの話をされた。
私から問いかけた訳でもないのに
まるで誰か??に言わされているかのように…周りの人達から唐突にその話が出てくるのが不思議だった。


自分を大切にする…
正直訳がわからなかった。

私はどちらかと言うと…子供の頃から
自分は我慢しても人に何かを、という自己犠牲の傾向があった。

自分さえよければと私利私欲に走るのは論外だけれど
素直に人に甘えたり、まず自分が満たされることを考えれる人に対して
嫌悪感やうらやましさを感じていたもの。


たくさんの人にアドバイスもらったこと

まず自分ありきでしか…人には与えることはできない。
自分を大切にできないものは、人も大切にできない。

正直…はぁ?
別に自分なんて大切にしなくたって出来てます!!!と

そっぽ向いてました。

だけどね~よくよく考えてみると
自己犠牲の人への好意って、続かないんだよね。

なぜ続かないか?
自分が自己犠牲してまで頑張ったことに対して…相手が自分が思うように喜んでくれたときには
やってよかった!と報われる。
だけど…世の中いろんな人がいて、自分の感覚が全て同じように通用する人間ばかりではなんだよね。

そこで思うような結果が得られない時には
「ドボンっ」と頑張った反動が来てエネルギー不足で動けなくなってしまう。

次への活力を人に(反応)求めすぎていたんだね。


以前はそれでも良かった。
時間はたっぷりあって、それほど人付き合いも多くはなかったから。

一度落ち込んでも、復活するまでの時間はちゃんともらえていたんだよね。
ところが…ここ1年ほどの間に環境は急変。
次から次へと人との新しい出逢いが目白押しで、とてもじゃないけれど
落ち込んでいる時間がない。

正直限界も感じていたし、全てを投げ出して一人でどこか知らない土地にでも行ってしまおうか?とも
考えたこともあった。


何の為に自分を大切にする必要があるのか?
私なりに自分で感じたこと。


自分を大切にすることで、自分自身としっかり向き合うこと。
自分はどんなことが心地よく、どんなことでどう感じるのか?
まずそれを「知る」ことになる。

自分を知ることで…それが土台(軸)になり
対人関係での感情のブレが少なくなる。
(相手は相手、自分は自分と客観的に見れるようになってくる)

一度感覚や感情がブレてしまうと…戻ってくるまでに時間がかかるけれど
軸がしっかりしていれば、そこからまた再出発するまでの時間を短縮することができる。


簡単に言えば
腹が立ったり、落ち込んだりしたとしても…
以前よりも引きずらなくなった感覚かな?

正直以前の私は…「自分を大切にする=自己中のエゴ」と捉えていたからね。

そういった人がいないわけじゃないけれど
人は人。
自分は同じようにならないように、ちゃんと自己コントロールすれば良いだけなんだよね。


さて、まだ変化はあると思うけれど
今の自分が想う「自分を大切すること」についてのまとめ。


自分を大切にするとは
今の自分を認め、受け入れて

自分らしく 自分を育て成長させること。

それは 自分の我を好き勝手に通すことでもなく
自分の考えに固執して殻に閉じこもることでもない。

良い意味で らしく(個性)成長すること。



この文章が誰かの何かの気づきのきっかけになって貰えることを願っています♪

マナーと学び

ただいま旭川~札幌へ高速バスで移動中です。

月曜日の朝の便ということもあり…
いつもより混み合う車内

3分の2ほどの席が相席になっている


見ていると…
いろんな人がいて
本当に個性豊かだなぁ~と感じる。

乗車してすぐに運転手さんより『相席でお願いします』のアナウンスが流れる。

バス内を見回す…
(ここくらいしかないかぁ…)

窓側に座り席を開けてくれていた男性

『よろしいですか?』と挨拶すると…
笑顔で『どうぞ』と答えてくれた。

大きな身体を縮めて座る姿を見ている…ちょっと申し訳ない気持ちになる。


他の空いてる席を見る…

おば様が席に荷物をドカリ!と置いて知らん顔(笑)

中には窓側の席を空けて足をドカリとくんで二席占領しきってる強者のおば様も(笑)

いやはや…
ここまでくると呆れを通り越して笑えてくるね


マナーと言うのかな~
マナーって決まりじゃなくて、皆が少しでも気持ち良いく過ごせる為の『心遣い』じゃないかな?

みんながちょっとだけ優しさをもって相手を気づかえば…
それは巡り巡って最後は自分に帰ってくるもの
ある意味『人は鏡』
恩も仇も巡り巡って己に返る。

それにね
人間の人生は良くも悪くも全て『普段の積み重ね』

普段から出来ていないものを…特別な時がきたからっていきなり出来るものではないよ。


そうやって物事や人を見ていると…
きっとこの人は淋しい人何だろうなぁ…と感じとる事ができる。


人は一人では生きてはいけない。

人を助け そして自分も助けてもらい…
お互いが支えあってこその『人』


今回もまた
反面教師として貴重な学びを貰えた事に感謝です♪


知覧特攻記念館を訪れての学び

己の命を投げ捨てて戦った「特攻」
この戦い方には賛否両論があるかもしれません。

戦争は正しい選択ではない。

だけど…人には形は違えど何かに立ち立ち向かわなければならない時がある。

そしてそこには「何」があるのか?
それを私が今回南九州の知覧にある「特攻平和記念館」へ行って感じたことを書きます。



最初に感じたこと。
「悲しみ」

年端もいかぬ17歳~からの若者たちの遺影が一面に張られた展示室内。
そして…彼らが特攻を行う前に書き綴った手紙や遺書。

「心に一点の曇りもなく」
「母様どうぞ大元気で」
「喜んで死にます」


戦時中は国を批判する言葉を口にすることはできなかった。

心の中には口には出せないたくさんの想いがあっただろう。

だけど…本当に潔い。それを美しいとさへ想った。


己の心を振り返る。

これほど何かの為にと…頑張ったことがあるのだろうか?

日々小さなことにクヨクヨと右往左往して行く先を見失っている自分。

国のために散っていったご先祖様達を前に、自己嫌悪に陥ってしまった。



正直…
知覧を訪れてからは…少しの間自己嫌悪の日々だった。


今朝ふと気付く。

彼らの手紙の文面を思い出す。

形?文章?

いや…違う。

もっと奥の…さらに奥。


そう「想い」


彼らは「何の為に」たった一つの大切な命を投げ捨ててまで「事を成そう」うとしたのか?


けしてそれは敵国やその人々が憎くて行ったことではないはず。
国を動かす上の人達の思想は解らない。

かれらが…それをしなければいけなかった。何の為?


「大切なものを守る為」


自分の親よりも先立つことはこの上ない不幸に違いない。

それでも…それでも彼らが守りたかったもの。

「想い」

そして…その奥にあるもの

「愛」


愛する家族を…そして国を

彼らは自分の命を捨ててでも守りたかった。

私はそう感じた。


これは今を生きる私たちにも通ずることだと想う。

人を接する時、それは身近な人、例えば家族や友人や恋人でも良い。

我をもって己を通そうとすれば、摩擦が起きて不快を感じ関係は悪化する。

「愛」を持って人を「想」い、人と接していけば…自ずと関係は良好になっていくはず。


日本人は謙虚で照れ屋の人が多いし
欧米人のように…表立って「愛」を語る人はなかなかいない。

だけど
誰かの為にと己を省みずに頑張る事ができるが日本人の素晴らしさだと想う。

人間が一人でできる事には限りがある。

けれどもね
人が人の為にと沢山の力と知恵を合わせて頑張っていけば
とてつもない大きな力を発揮することができるんだよ。


人を愛する心。
人を大切に想う心。

忘れないで
あなたも大切な一人の命ということを。

生きる…は『感じる』こと

最近思考のドツボにハマって…なかなか抜けることが出来なかった。

こんな時は考えれば…考えるほど悪い方へと引きずりこまれてしまうもの


こんな時間が自分の中で長くなってくると…
正直生きてる実感もなくなってきてしまう。


鏡を覗く…

(うわぁ…酷い顔だなぁ)

何が酷いかって言うと…
『目』が虚ろで生気が無い。

まるでスーパーに並んでる死んだ魚の目のようだよ。


今日は天気も良かったので…大雪山湧水を汲みに山へやってきた。

途中車を止めて山の空気を胸いっぱい吸い込んだ。

新鮮な空気を身体にいっぱい入れたら…
身体が活性化されていくのがわかる。

少し気持ちが落ち着いたので…
太陽の光を感じながら目を閉じる


太陽の光の温かさ
空気の流れ…小鳥のさえずり…

どんどん感覚が研ぎ澄まされていくのをかんじる。


そうかぁ…
自分は生きてるんだなぁ…

久しぶりに自分が生きていると実感した。


これって理屈じゃないんだよね

ご飯を食べてトイレにいって…
次はあれして…これやって、ランチは何円の何を食べようか…とか頭で考えるんじゃなく


ただ…今を『感じる』これが生きてるってことなんじゃないだろうか?


その点 野生動物は純粋に今を『生きてる』よね

生きる為に食べ…そして命を繋ぎ…時が来たら大地へ帰る


だからあんなに生命力に溢れ…純粋で曇りのない『目』をしているんだね

人間だって…今をしっかり生きている人の目はキラキラと輝いて魅力的でしょ?


『幸せ』だって同じ
あれやこれやと理屈つけて…無理やり自分は幸せだ!っていったって、実感がなきゃ虚しいだけ。


本当の幸せも理屈じゃなく…

今自分が『感じる』こと

それを その一つ一つを大切に実感することが本当の意味で『生きる』実感に繋がっていくと思います。

この世の中ではお金を稼ぐ事は大切

だけど…全ての基準をお金に置いてしまうのは寂しすぎる。

自分が今を大切に生きる為。
お金はゴールではなく…それを手に入れる為の通過点でしかないよ。

こんな生きにくい世の中だからこそ…

感じる事を大切に
あなたの人生ももっともっと充実したものになること願っています。

それで良いんだよ。

昨日友人のYさんと電話で二時間ほどお話をした。
彼女は30代で飲み屋のママさんをしている方。

とても気丈な人で人前では元気がトレードマークのとても気さくな人。
だけど…彼女の人生はまさに波乱万丈、
並みの人の何回分の人生の苦労を背負っているのだろう?と感じるくらい苦労が耐えない人。

それでも人前では強い母で、お客様の前では強く元気で逞しいママであろうと頑張る強い人。


そんな彼女が珍しく弱気だった。

「私だって…元気になれないこともあるよ。 だけど…周りの人からは元気出せ!って言われる。 今はそれが辛い」


話を聴いていて…彼女の言葉から、その葛藤や心の苦悩が感じとれた。



彼女を想う周りの人達の好意や優しさは解る。
少しでも…いつもの元気な彼女に戻ってもらいたい
そう願ってかけた言葉。

けしてそこに他意や悪意はなく…純粋に彼女の復活を願っているのは感じられる。

ただね…時としてその言葉は相手を元気づけるどころか…苦しめてしまうこともある。


自分の胸に手を当てて考えてみて?

その言葉に「愛」はありますか?

いったい何の為に…あなたは「その」言葉を相手にかけるのでしょう?


あなたが言葉をかける相手も「一人の人間」です。

感情もあれば…心もあります。

あなたが辛い、苦しいと想うことがあるように
相手の人も同じことを想い考えるのです。


あの人は強い。
それはあなたが相手に想う感覚にすぎません。


誰にだって心の弱い部分があります。
強いといわれる人は…そこを表にださない人。もしくは必死に乗り越えようと常に努力してる人です。

心の痛みや苦しみを感じられない人は…強い人ではなく、ただ「鈍感」なだけ。
そんな人は人に優しくできるはずもありません。

自分が痛みを知るからこそ…相手の痛みを感じることができるのです。



私はママさんに
「落ち込んだって良いんだよ。そんな時もあるよ」と
相手の想いをまず受け入れることをしました。


自分の想いは…誰かがそのままの形で「受け取って」くれるだけで…軽くなるんです。


それを無理に…そんなマイナス思考はダメだ!前向きにならなきゃ!なんてやってしまうと
それは今の自分を否定されていることになり、その人は…今の自分はダメだダメだと
もっと奥底へと沈んでいってしまいます。


誰だって人間だもの、心だって身体だって浮き沈みがある。

それいいんだよ。
間違ってないよ。

今はそれでいい…。

これから自分はどうして行きたい?

答えは人から与えられるものではなく、自分自身の中にあり、自分で見つけることが一番大切だと私は想います。


だってね
人生は…他の誰のものでもなく、自分自身のものだから。

誰かの為に生きるという 素晴らしい生き方もある。

だけどね…
誰かに何かをしたいのならば、まず自分を大切にしなくちゃ

自分の身体と心があって初めて…人の為に何かをすることができるからね。


ここは私もまだまだの部分。
ある意味自分自身にも言い聞かせながら書いています。


自分一人で出口がみつからなくなった時は…誰かをたよればいいよ。

あなたの心が明るく健やかであることを願っています♪

「無い」は幸せの入り口

お金がない…時間がない。健康でない?

「無い」という言葉だけでも…状況によって山ほどのバリエーションがあることに気付く。


書く言う私も…
はい!無い無いづくしの 
「無い」のフルコースのような人間です。笑



去年の中ほどから…ある出会いがあり、新しい整体の技術とであうことになりました。

そこから一気に人生の流れが変わって
勉強の為にめっちゃお金は無くなるし…
やり方変わってわけわからんくなって自信はなくなるし…
勉強やら人の付き合いなんやら…あちこちの移動で時間と仕事もなくなるし…

本当に無い無いづくしの人生に転がっていったね。


さて、ここまでだと…ただの愚痴だね。笑



あぁ…
もうダメかも?
正直何度も心が折れそうになったよ。

そこでふと…気付いた。


人から受けた、ささやかな好意で…すごく素直に喜べて感謝できる自分がいたこと。


あれれ!?

今までの自分だったら…
若い頃はお金も体力もいろいろそこそこもってたから…どこか冷めた目で物事をみていた自分がいたのね。


それが今だと…
一つ一つが自分にとってない無い(足りない)状態だから
素直に感謝できるのさ。


感謝は「喜び」に変わり…それを感じることが「幸せ」に繋がっていく。


そうか!
何事もありすぎりれば…それは「当たり前」となり
人は感謝の心を失っていく。

私は一度それらを失うことで…改めて感謝の心を学ばせてもらえたんだね♪


私が人生の大先輩からもらった言葉。
何度か書いてはいるけどね。もう一度


人の人生には時に「落ちる」ことも大切。
どん底まで落ちたら…後はあがるだけだし
落ちた経験があるからこそ…上がる喜びや「平坦」のありがたみも解る。

全てを当たり前のように上がりも下がりもなく、平坦な道を歩んできたものに
そのありがたみを知ることはできない。


本当にその通りだね。

だけど…自分が無い状態で落ち込んでいる時は、先も出口も見えないし本当に辛い。

だけどきっと大丈夫。
諦めなければ大丈夫!

人間生きていれば…必ず「流れ」の変わるときがくるから!
私がそうだったから。きっと誰にも「それ」はくる!きっとくる~♪笑


その時に自分が前に進む為の少しの「勇気」をもつこと。

それが出来ればきっと大丈夫。

「今」無いこと、出来ないことを悔やまないで!

あなたの人生はきっと良いものになるはずだから。
自分を信じてあげて。

そしてあなたも、私も幸せになりましょう♪

良い言葉

今朝…
ぼけぇ~と頭真っ白状態の時に ある言葉がうかんできました。


与える時には『愛』の心をもって

受けとる時には『感謝』の心をもって


何気に浮かんだ言葉なんだけど…
心に響いたので書きました♪

「厄」を気にする?

今日は2月3日の節分ですね。

節分と言えば言えば…豆まきに「厄払い」かな?


「厄」

男25歳 大厄  女33歳 大厄~とかありますよね。

厄年というのはやっかいで…その前後に前厄、後厄といったおまけがついてくるんです。


私も26歳の時に利き腕を壊して大きな手術をして、職を失うという大きな出来事がありました。

この頃は厄とか占いを結構信じていたこともあり…
「厄年」だから~と…自分に起こった出来事を厄に絡めて記憶していました。


さて
ここで一つ面白いことを一つ。

厄を気にする人としない人。

厄年に何か自分の身に「厄」がありましたか?との質問をしてみると…

やはり厄年を気にしている人の方が圧倒的に「あった」と答えるそうですね。


人間とは不思議なもので…
「○○してはいけない」とか「○○を気にしてはいけない」と言われると…

してはいけないはずなのに…ついついやってしまうものなんですね。笑


良い例が…
「梅干を想像してはいけません!」と言われて…

想像しないでいられる人いますか?

私なら…あっと言う間に…口の中が唾液でいっぱいになってきます。笑



結局は「意識」することで…自分自身が良くも悪くも「その」状態を引き寄せてしまうんですね。

日常から前向き(ポジティブ)な言葉を使い、そういった人達を多く接する人は前向きに引き寄せられ
 これまた 後ろ向き(ネガティブ)な言葉を使い、そういった人達を多く接する人は前向きに引き寄せられていきます。


厄だから~とか、○木さんの大殺界じゃないけど
捉われる必要はないんです。


自分の身に起こることは…全て自分が引き寄せて、それは全て自分の「学び」の為と思えば
どんなこともネガティブに捉われずにすみます。

私も…何度か死にたい!と想うくらいどん底を体験しましたが
今になって思い返してみれば…全て何かしらの学びを貰っています。


人生に無駄はありません!

意識を変えたり…何かを始めるのは「今」ここからです。

人間は、過去でも未来でもなく「今」この時しか生きれませんよ!


せっかく一度の人生、楽しんで有意義に過ごさないと勿体無いです。

あなたの人生が…笑顔で幸せに溢れたものになることを信じています♪

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